アスリートは、競技の成果だけで記憶される存在ではない。頂点に立った者は、名声・資本・発信力という、他の職業では得がたい資産を同時に手にする。問われるのは、その資産をどこへ、どのように還元するのか——という一点である。財団を立ち上げる者、母校や故郷に投じる者、著書の印税を託す者。手法はさまざまだが、共通するのは「勝つこと」から「遺すこと」への静かな重心移動である。本稿では、海外と日本の系譜をたどりながら、スポーツを通じた社会貢献の到達点と、その持続性をめぐる課題を考えたい。

この記事の要点
海外の先駆
ロジャー・フェデラーは2003年、22歳で財団を設立。母の故郷である南部アフリカ諸国とスイスで、幼児・基礎教育の支援を続けている。
学校という遺産
レブロン・ジェームズの財団は2018年、故郷アクロンに「I PROMISE」構想を具現化した公立校「I PROMISE School」を開校した。
日本の広がり
本田圭佑のサッカースクール、長谷部誠の印税寄付、八村塁の教育・医療支援など、手法は多様化している。
クラブという装置
Jリーグは2018年、3者以上が連携して地域課題に取り組む「シャレン!(社会連携活動)」を制度として立ち上げた。
問われる持続性
発信力による寄付喚起は強力だが、活動が「本人」に依存する構造と、成果の測定・継続が共通の課題となる。

なぜアスリートは「還元」へ向かうのか

プロスポーツ選手のキャリアは短く、そして眩しい。二十代でピークを迎え、三十代で退く者も少なくない。だからこそ、競技を離れた後に何が残るのかという問いは、多くのアスリートにとって切実である。加えて、彼らは自らの原点——貧しい生い立ち、地域の支え、教育の機会——を鮮明に記憶していることが多い。恵まれなかった過去への返礼として、あるいは自分を育てた共同体への恩返しとして、社会貢献は選ばれていく。国連は「スポーツもまた、持続可能な開発における重要な鍵となる」と位置づけ、日本のスポーツ庁も「スポーツSDGs」として、人を集め巻き込むスポーツの力を社会課題の解決へつなげる方針を掲げている。アスリートの還元は、個人の善意にとどまらず、政策的にも意味を帯びつつある。

海外の系譜——フェデラー財団とI PROMISE School

アスリート財団の一つの原型が、ロジャー・フェデラー財団である。フェデラーは2003年、まだ22歳のときにスイスでこの財団を設立した。母が南アフリカ出身であることから、活動の軸はレソト、マラウイ、ナミビア、南アフリカ、ザンビア、ジンバブエといった南部アフリカ諸国と、自国スイスに置かれた。派手な施設建設ではなく、幼児期の学びと基礎教育、教師の養成という「最も持続的な介入」に的を絞ったのが特徴である。財団は、これまでに300万人を超える子どもたちの学習機会に関わってきたとされる(2025年時点)。

もう一つの象徴が、レブロン・ジェームズの取り組みだ。彼は故郷オハイオ州アクロンの高校中退率の高さに向き合い、2011年に「I PROMISE」構想を始動。2018年7月30日、財団が支援する公立小学校「I PROMISE School」がアクロンに開校した。開校時は小学3・4年の240人規模だったが、地元の公立学校区の一部として運営され、2022年には1年生から8年生までをカバーする体制へと拡大した。奨学金や家族支援を組み合わせ、STEM教育を軸に据える。財団が学校そのものを公教育の中に埋め込んだ点で、慈善の枠を超えた「制度への接続」の実験でもある。

日本のアスリート——本田、長谷部、八村

日本でも、選手ごとに個性の異なる還元の形が育っている。本田圭佑は2012年5月、大阪で「SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL」を開校。現在は国内48校・海外6校へと広がり、およそ5,000人の子どもが通うという。コーチ陣がアフリカの難民やスラムの子どもたちにサッカーを指導し、国内でも児童養護施設などの子どもへ無償指導を続けるなど、「サッカーを通じて夢を持つことの大切さを伝える」という一貫した理念で動いている。

長谷部誠が示したのは、発信力と資本を静かに結びつける手法だった。東日本大震災直後の2011年3月17日に刊行した著書『心を整える。』の印税全額を日本ユニセフに寄付すると決断。同書は同年秋までにミリオンセラーとなり、その資金は宮城県南三陸町のあさひ幼稚園の園舎再建にも使われた。長谷部は2007年からユニセフのマンスリーサポーターであり、現役引退後の2024年には日本ユニセフ協会大使として最初の活動に踏み出している。八村塁は2019年、日本人として初めてNBAドラフト1巡目(全体9位、ワシントン・ウィザーズ)で指名された。その注目度を背景に、大正製薬とともに女性の奨学支援団体CWAJへ寄付し、入院中の子どもを支えるファシリティドッグ・プログラムの支援にも関わってきた。財団の設立という形をとらずとも、還元は成立しうる。

Jリーグ「シャレン!」——クラブという装置

個人の善意を超えて、組織として社会と接続する試みもある。Jリーグは開幕25周年の2018年、「シャレン!(社会連携活動)」を制度として立ち上げた。教育、ダイバーシティ、まちづくり、健康、世代間交流といった地域課題に対し、Jクラブと自治体・企業・学校・NPOなど3者以上が連携して取り組む枠組みである。ホームタウンという物理的な拠点と、集客・発信のインフラを持つクラブは、地域における「常設のプラットフォーム」として機能しうる。個人の引退とともに途切れがちな活動を、組織が継承していく——スポーツと社会貢献の持続性を考えるうえで、クラブという装置は示唆に富む。

発信力という、もう一つの資本

アスリートが持つ最大の資産は、実は資金ではなく発信力かもしれない。数百万、数千万というフォロワーに直接語りかけられる存在は、社会全体でも稀である。震災や災害のたびに寄付を呼びかけ、支援先を可視化し、ファンの善意を束ねて動かす。その一声が生む募金や関心の総量は、本人の拠出額をしばしば上回る。長谷部が著書という媒体を通じて二億円規模の資金を災害支援へ流したことも、八村がその知名度で奨学や医療支援に光を当てたことも、発信力の運用という点で共通している。名声を「増幅装置」として使うこと——ここにアスリート・フィランソロピーの独自性がある。

成果と持続性——測定と「本人依存」の壁

とはいえ、輝かしい事例の裏には共通の課題も横たわる。第一に、成果の測定である。学校を建て、子どもを集めることは可視化しやすいが、その子たちの人生がどう変わったのかを長期に追い、検証する仕組みはまだ発展途上にある。近年はJリーグの社会連携活動を社会的投資収益率(SROI)で捉えようとする研究も現れているが、道半ばだ。第二に、活動が創設者個人に強く依存する「本人依存」の構造である。選手の引退や関心の移ろい、資金力の変化によって、活動が細る危うさは常につきまとう。フェデラー財団が現地の主体性と長期性を重んじ、レブロンが学校を公教育に組み込み、Jリーグが3者連携を制度化したのは、いずれもこの脆さを乗り越えようとする工夫と読める。

アスリートが還元するのは、資金だけではない。夢を描く力、諦めない態度、そして「見てもらえる」という希望そのものである。問われるのは、その熱量を一過性の善意で終わらせず、制度と検証によって次の世代へ手渡せるかどうかだ。静かに、しかし着実に。スポーツの遺産は、勝敗表ではなく、育った人の数によって測られる時代に入りつつある。

出典・参照

  • The Roger Federer Foundation「Overview」および Wikipedia「The Roger Federer Foundation」(2003年設立、南部アフリカ6か国とスイス、300万人超・2025年時点)
  • Forbes Africa「Advantage Africa: Roger Federer's Deciding Points」(2025年4月)
  • Wikipedia「I Promise School」/LeBron James Family Foundation「I PROMISE School」(2018年7月30日開校、240人・3-4年、2022年に1-8年へ拡大)
  • ソルティーロ株式会社 公式サイト/サッカーキング「本田圭佑が取り組む新たな社会貢献の形」(2012年開校、国内48校・海外6校)
  • 日本ユニセフ協会「長谷部誠 日本ユニセフ協会大使」/同「現役引退後、初の大使活動」(2024年1月)、『心を整える。』2011年刊・印税寄付
  • バスケットボールキング「八村塁、日本人初の1巡目」(2019年6月)/Shine On! Kids・CWAJ 各公式発表
  • Jリーグ「シャレン! について」/同「Jリーグをつかおう」(2018年開始)
  • スポーツ庁「スポーツSDGs」/国連広報センター「スポーツと持続可能な開発(SDGs)」

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