この四半世紀、世界で新たに生まれた巨富の多くはアジアから来た。中国のテック企業家、インドのIT長者、韓国の財閥三世——彼らが手にした資産の規模は、二十世紀初頭のカーネギーやロックフェラーに比肩する。問いは、その富がどこへ向かうか、である。欧米は百年をかけて「独立した民間財団」というフィランソロピーの型を築いてきた。だがアジアの新しい富は、必ずしもその型をなぞらない。家族の名を冠し、国家の政策と歩調を合わせ、ときに透明性の壁にぶつかりながら、独自の道を模索している。本稿では、インド・中国・韓国という三つの現場を、出典と年次を添えて静かに辿ってみたい。

この記事の要点
インドの巨額寄付
ウィプロ創業者アジム・プレムジーは、2019年3月にウィプロ株の追加拠出により、慈善への総拠出額を約210億ドルに引き上げた。アジム・プレムジー財団は公立学校教育に注力する。
中国の教育賞
テンセント共同創業者の陳一丹(Charles Chen Yidan)は2016年にYidan Prizeを創設。基金は25億香港ドル(約3億2,300万米ドル)で、受賞者は各3,000万香港ドルを受け取る。
共同富裕の号令
2021年、習近平が「共同富裕」を掲げると、アリババは1,000億元(約155億ドル)、テンセントも社会貢献枠を1,000億元に倍増すると相次いで表明した。
韓国の企業家寄付
2021年、故李健熙サムスン会長の遺族は約2兆ウォンの美術品と1兆ウォンの現金寄付を公表。同年、Kakaoのキム・ボムスがGiving Pledgeに署名した。
欧米型との差異
アジアの寄付はしばしば創業家の名を冠し、国家政策と近接する。独立性・永続性・情報開示のあり方が、欧米モデルとは異なる文脈で問われている。

インド——教育に賭けた「大学モデル」の永続基金

アジアの新興フィランソロピーを語るとき、まず名が挙がるのがインドのアジム・プレムジー(Azim Premji)である。IT大手ウィプロ(Wipro)を父から継ぎ、一代で世界的企業へ育てた彼は、同時にインド最大の個人慈善家となった。プレムジーは2010年12月、学校教育の改善のためウィプロ株の8.7%(当時約20億ドル相当)を財団に移すと表明したのを皮切りに、2013年、2015年と段階的に株式を拠出。そして2019年3月、さらに約75億ドル相当の株式を移し、慈善への総拠出額は約210億ドルに達したと報じられた(Forbes、2019年3月)。彼は2013年、アジアの富豪として初めてゲイツ夫妻とバフェットの「Giving Pledge(寄付誓約)」に署名している。

注目すべきは、その資金の使い道である。アジム・プレムジー財団(Azim Premji Foundation)は2000年以来、インドの農村部の公立学校教育に一貫して取り組んできた。教員研修、学校リーダーの育成、政策・カリキュラムへの関与——地味だが根の深い領域だ。2010年にはベンガルールにアジム・プレムジー大学を設立し、2023年にはボパールに第二キャンパスを開いた。そしてこの活動を支えるのが、米ハーバードやスタンフォードの大学基金を範に設計されたという巨額の永続基金(エンダウメント)である。派手な単発の寄付ではなく、世代を超えて資金を生み続ける仕組みに賭けた点に、プレムジーのフィランソロピーの思想が表れている。

中国①——陳一丹と「世界最大の教育賞」

中国のテック富豪のなかで、静かで持続的なフィランソロピーの範を示したのが、テンセント(騰訊)の共同創業者、陳一丹(Charles Chen Yidan)である。彼は2013年に経営の第一線を退き、教育慈善に軸足を移した。2016年、香港にYidan Prize(一丹奨)を創設。これは「教育を通じてより良い世界を」を掲げる国際賞で、独立した信託が運営し、基金の規模は25億香港ドル(約3億2,300万米ドル)にのぼる。

賞は「教育研究」と「教育開発」の二部門からなり、受賞者は各3,000万香港ドル(約390万米ドル)を受け取る。半分が賞金、半分がプロジェクト資金という設計だ。一人あたりの授与額は、ノーベル賞をも上回る規模とされ、しばしば「世界最大級の教育賞」と呼ばれる(Forbes、2019年)。国家の政策運動としてではなく、独立した信託を通じて世界の教育研究を長期に支えるという点で、陳一丹の実践は欧米型の助成財団に最も近い中国の事例の一つといえる。

中国②——共同富裕と、揺れる巨富

だが、中国のフィランソロピーを語るうえで避けて通れないのが、国家との関係である。2021年8月、習近平国家主席が「共同富裕(共同富裕)」——富をエリートから大衆へ広く行き渡らせるという方針——を強く打ち出すと、テック大手は相次いで巨額の拠出を表明した。アリババ(阿里巴巴)は9月、2025年までに1,000億元(約155億ドル)を10の施策に投じると発表。テンセントも同年、社会貢献に充てる資金を1,000億元へ倍増すると表明した(CNBC・South China Morning Post、2021年)。ある集計では、2021年8月以降に主要6社が拠出・寄付を表明した額は2,541億元(約378億ドル)にのぼるとされる。

この局面は、欧米の自発的なフィランソロピーとは性格を異にする。テック業界が規制当局の強い監視下に置かれるなか、企業の「寄付」は政策への呼応という色彩を帯びた。象徴的なのがジャック・マー(馬雲)である。彼は2020年のForbes中国慈善リストで首位に立ち、2020年の寄付は本人とアリババ合わせて約4億9,400万ドルとされた(Caixin、2021年)。だが同じ時期、彼が率いたアント・グループの上場は当局により突如見送られ、マー自身も公の場から姿を消した。個人の慈善的意思と国家の意向とが分かちがたく絡み合う——ここに、中国型フィランソロピーの独特の緊張がある。近年の報道は、共同富裕をめぐる企業の約束の一部が当初の勢いを失っていると指摘する(The Wire China、2024年)。

韓国——遺産・美術・そして誓約

韓国では、フィランソロピーはしばしば財閥(チェボル)の相続と分かちがたく結びついてきた。その象徴が、2020年10月に死去したサムスン電子の李健熙(イ・ゴンヒ)会長の遺産処理である。2021年4月、遺族は総額約12兆5,000億ウォンという韓国史上最高額の相続税に直面するなか、故人が遺した美術コレクションのうち約2兆ウォン相当(ピカソ、ダリ、モネら約2万3,000点)を国家に寄贈し、さらに1兆ウォン(約9億ドル)を感染症センター建設などの医療分野に寄付すると公表した(KED Global・CNBC、2021年)。巨額の相続税と巨額の寄付が同時に発表されたこの出来事は、韓国における富の継承とフィランソロピーの関係を鮮やかに映し出している。

一方、より欧米型に近い動きも現れている。2021年3月、メッセージアプリKakaoのキム・ボムス(金範洙)会長は、生前と遺言を通じて自らの資産の半分以上を社会課題の解決に充てると表明し、Giving Pledgeの220番目の署名者となった。当時の純資産は約100億ドルとされ、50億ドル超が慈善に向かう計算だった。彼はデジタル教育格差の是正やAI人材の育成に関心を示している。財閥の相続と、新興IT起業家の自発的誓約——韓国のフィランソロピーは、この二つの潮流のあいだで形を変えつつある。

欧米型モデルとの距離——家族・国家・透明性

三つの国を見渡すと、アジアの新興フィランソロピーが欧米モデルと分かれる論点が浮かび上がる。第一に、家族との近さである。プレムジー財団もサムスンの寄付も、創業家・同族の名と資産に深く結びついている。二十世紀の米国が、創業者の手を離れた独立財団を「善」としてきたのとは、出発点が異なる。

第二に、国家との距離だ。とりわけ中国では、2016年に「慈善法(慈善法)」が施行され、財団の設立・運営や情報開示のルールが整備された。財団数は2004年の775から2015年には約4,900へと急増し、なかでも民間財団の伸びが著しい。制度は前進した。しかし共同富裕が示すように、寄付は国家の発展目標と歩調を合わせることを期待される。欧米が理想としてきた「政府から一定の距離を保つ民間セクター」という構図は、そのままの形では当てはまらない。

第三に、透明性と永続性の課題である。情報開示の水準は国や団体によってばらつきが大きく、資金の使途や成果を外部が検証しにくい場合が少なくない。陳一丹の独立信託やプレムジーの大学基金のように、世代を超える仕組みを意識的に設計する例が現れる一方で、政策局面ごとの単発の拠出も目立つ。永続する制度としてのフィランソロピーが根づくのか、それとも富者の意思と国家の要請に左右され続けるのか——アジアの答えは、まだ書かれている途中である。

結び——「型」を輸入するのではなく

アジアの富がどこへ向かうかという問いに、単一の答えはない。インドは大学基金という永続の器を、中国は国家と並走する巨大な資金の流れを、韓国は相続と誓約の二重奏を見せている。いずれも、欧米が百年かけて磨いた財団モデルをそのまま移植したものではない。むしろ、それぞれの社会が抱える家族の論理、国家との関係、そして急速な富の集中という現実のなかで、独自の型が生まれつつある。日本を含むアジアの他の社会にとって重要なのは、既製のモデルを輸入することではなく、こうした試行錯誤から何を学び、何を避けるかを見定めることだろう。富の行き先は、その社会が何を大切にするかを映す鏡でもある。

出典・参照

  • Forbes「Indian Billionaire Azim Premji's Donation To His Charitable Foundation Rises To $21 Billion」(2019年3月13日)
  • The Giving Pledge「Azim Premji」pledger profile(givingpledge.org、2013年署名)
  • Azim Premji University/Azim Premji Foundation 公式サイト(財団の活動・大学設立年)
  • Yidan Prize / Chen Yidan 関連——Wikipedia「Yidan Prize」「Chen Yidan」、Forbes「How This Entrepreneur Created The Largest Education Prize In History」(2019年)、Media OutReach(2016年12月16日)
  • CNBC「China's tech giants pour billions into Xi's vision of 'common prosperity'」(2021年9月3日)
  • South China Morning Post「Tencent earmarks US$7.7 billion for 'common prosperity'」/Alizila「Alibaba Pledges US$15.5 Billion」(2021年)
  • Caixin Global「Out-of-Favor Jack Ma Tops Forbes China Philanthropy List With $494 Million in Donations」(2021年7月26日)
  • The Wire China「Broken Promises — Common Prosperity」(2024年10月6日)
  • KED Global「Samsung heirs to donate nearly $3 bn in cash, art」/CNBC「Samsung inheritance: Lee family to pay over $10 billion inheritance tax」(2021年4月28日)
  • PR Newswire「Kakao Chairman Kim Beom-su signs the Giving Pledge」(2021年3月)
  • 中国「慈善法」(2016年施行)および財団数の推移——Stanford King Center Working Paper、Harvard Ash Center China Philanthropy Project 等

本稿は公開情報にもとづく解説であり、特定の寄付・投資・税務・法務上の助言を目的とするものではありません。金額・比率・年次は報道時点のものであり、為替や株価の変動、その後の追加拠出等により実際の数値は変化しています。個別のご判断にあたっては、必ず一次情報および専門家にご確認ください。