寄付とは、しばしば「与える側が使い道を決める」行為である。目的を指定し、成果を測り、報告を求める。だがマッケンジー・スコットが2019年以降に実践してきたのは、その前提そのものを裏返す試みだった。使途を縛らず、報告も求めず、相手の判断を信頼して裁量を委ねる。累計で約263億ドル(2019年〜2025年)、数千の団体へ——その規模と速度、そして「与えたあとは手を離す」という設計思想は、フィランソロピーの世界に静かで持続的な問いを残している。

この記事の要点
寄付者
マッケンジー・スコット。アマゾン創業者ジェフ・ベゾスの元妻で、2019年の離婚で巨額の資産を得た。同年ギビング・プレッジ(資産の過半を生前・遺贈で手放す誓約)に署名した。
規模
2019年以降の累計寄付は約263億ドル(2025年12月時点)。生涯寄付額でウォーレン・バフェット、ビル・ゲイツに次ぐ水準とされる。
手法
使途無制限(unrestricted)・報告義務なしの一括寄付。多くは団体側から見て「予告なく届く」大口資金だった。
思想
「トラストベース(信頼ベース)・フィランソロピー」。非営利団体の統治と判断を信頼し、寄付者の管理を最小化する。
透明性
当初は匿名的で受領後に開示する方式。2022年に寄付事業「Yield Giving」を立ち上げ、一部を公開・応募制へと転じた。

予告なく届いた資金——2020年の衝撃

スコットの名が寄付の文脈で広く知られるようになったのは2020年である。同年7月、彼女はブログ・プラットフォームのMediumに投稿し、116の非営利団体へ計17億ドルを寄付したと明かした。人種的公正、LGBTQ+の平等、民主主義、気候変動といった領域が対象だった。

さらに驚かされたのはその速度である。同年12月、スコットは続く約4か月間で384団体へ計41億5,000万ドルを寄付したと発表した。フードバンク、コロナ禍の緊急支援基金、歴史的に黒人を対象としてきた大学(HBCU)などが名を連ねた。多くの団体にとって、それは応募も交渉もないまま届いた資金だった。彼女はエッセイの中で「このパンデミックは、すでに苦境にあったアメリカ人の生活を打ち砕く鉄球だった」と記し、経済的損失も健康被害も、女性や有色人種にとってより深刻だったと述べている。

「使途を縛らない」という設計

スコットの寄付を特徴づけるのは、その額の大きさや速さ以上に、条件の少なさである。彼女の資金は使途無制限で、使い切る期限もなく、報告義務もほとんど課されない。受け取った団体は、人件費に充てても、財政的な蓄えに回しても、長年後回しにしてきた組織基盤の強化に使ってもよい。決めるのは団体自身である。

この設計は、従来の助成のあり方への静かな批評でもある。財団からの助成は多くの場合、特定の事業目的に紐づけられ、定期的な進捗報告や監査を伴う。そうした「管理」は説明責任のためのものだが、団体の側から見れば、資金が本当に必要な運営費や人材に回せず、報告作業そのものが負担になることも少なくない。米国の財団助成のうち使途無制限のものは全体の約12%、大手100財団に限れば約8%にとどまるとされる(米財団協議会=Council on Foundationsの推計)。スコットのYield Givingは、これを100%で運用している。

トラストベース・フィランソロピーの思想

この手法は「トラストベース(信頼ベース)・フィランソロピー」と呼ばれる考え方の、最も規模の大きな実践例として位置づけられている。中心にあるのは、寄付者が団体を統制するのではなく、団体の判断と統治を信頼するという発想の転換だ。使途を細かく指定し成果を厳しく測る従来型が「監督(oversight)」を軸にするのに対し、信頼ベースは「委任(trust)」を軸にする。

スコット自身は、寄付先の選定を「静かな精査(quiet vetting)」と呼ばれる非公開の調査プロセスに委ね、団体に多大な負担をかけずに評価を行ってきた。応募書類を書かせ、面談を重ね、選考に何か月もかける従来の助成申請とは対照的である。彼女の言葉を借りれば、それは「支配を手放すことで価値を加える」という信念に根ざしている。

Yield Givingの公開——匿名から開示へ

初期のスコットの寄付は、意図的に匿名的だった。受領団体の名は、資金が渡ったあとに本人のエッセイで断片的に明かされるだけで、体系的な一覧は存在しなかった。誰がいくら受け取ったのかを外部から把握することは難しく、透明性の観点からは批判もあった。

転機は2022年12月である。スコットは自らの寄付事業に「Yield Giving」という名を与え、専用サイトYieldGiving.comを公開した。名称は「支配を手放すことで価値を加える(yield)」という信念に由来する。サイトには、2020年以降に行った2,524件の助成について、団体名・所在地・重点領域が、そして受領団体の許諾が得られた場合には金額までもが、検索可能なデータベースとして掲載された。公開時点で、スコットの寄付はすでに約1,600団体・約140億ドルに達していた。長く沈黙のうちに行われてきた寄付が、初めて体系的に「見える」ものになった瞬間である。

オープン・コールという実験

Yield Givingはもう一つの転換をもたらした。それまで団体側は自ら応募する術を持たなかったが、2023年3月、スコットは非営利支援組織Lever for Changeと組み、公募型の「オープン・コール」を開始した。対象は、困難や差別に直面してきた人々の声と機会を広げることを掲げ、運営予算が100万〜500万ドル規模のコミュニティ主導の団体だった。

反響は予想を超えた。応募は6,353件に上った。当初は250団体へ各100万ドル、計2億5,000万ドルを配分する計画だったが、選考(応募団体同士の相互評価と外部審査員による評価を組み合わせた方式)を経て、スコット側は規模を大幅に拡大する判断を下す。2024年3月19日、Yield Givingは361団体へ計6億4,000万ドルを配分したと発表した。得点上位の279団体には各200万ドル、次点の82団体には各100万ドルが渡った。予告なき一括寄付という初期の手法に、「開かれた入口」を加えた実験だった。

批判と、実証された効果

スコットの手法は当初から懐疑も招いた。使途を縛らず大口の資金を渡して、団体は本当に戦略的に使いこなせるのか——そうした懸念が、一部の財団関係者から表明された。急激な資金流入が組織の身の丈を超えた拡大を招くのではないか、という声もあった。

この問いに一定の答えを与えたのが、非営利評価機関Center for Effective Philanthropy(CEP)による多年度の追跡研究である。2023年に公表された最終報告「Breaking the Mold」は、スコットの寄付を受けた非営利団体のリーダー813名と、財団のリーダー243名への調査、および2019〜2023年の財務データの分析にもとづく。結論はおおむね肯定的だった。受領団体はおおむね慎重な資金の管理者であり、蓄えを厚くし、人材に投資し、事業を拡充しながら、同時に組織の長期的な基盤を強化していた。スコットの資金を受けた団体は、受けなかった同種の団体より速く成長する傾向も確認されている。

静かな革命が残したもの

寄付は2024年に約26億ドル、2025年には約71億7,000万ドルを約225団体へと、むしろ加速した。2025年12月時点で、2019年以降の累計は約263億ドルに達している。近年は、公的資金の削減で存続の危機に立つ団体を支える役割も担うようになった。

マッケンジー・スコットの寄付が投げかけたのは、金額の問いというより、姿勢の問いである。与える側は、どこまで相手を信頼できるのか。管理と説明責任は、支援の質を高めるのか、それとも縛るのか。彼女の実践は、これらに唯一の答えを出したわけではない。だが「使途を縛らない」という一点を徹底することで、フィランソロピーが暗黙のうちに前提としてきた「与える側の統制」を、静かに、しかし確かに揺さぶった。革命と呼ぶにはあまりに物静かなその営みは、寄付という行為の重心を、与える者から受け取る者へと少しだけ動かしたのである。

出典・参照

  • CNBC「MacKenzie Scott announced another $7.1 billion in 2025 charitable donations—she's now given away $26.3 billion since 2019」(2025年12月13日)
  • CNN Business「MacKenzie Scott donated $7.1 billion to nonprofits in 2025」(2025年12月9日)
  • NPR「MacKenzie Scott Has Donated More Than $4 Billion In Last 4 Months」(2020年12月16日)
  • GeekWire「MacKenzie Scott launches new website that details her giving process and lists recipients of $14B」(2022年12月)
  • Wikipedia「Yield Giving」および「MacKenzie Scott」(2026年参照)
  • Lever for Change「Yield Giving Expands Award Amount to Deliver $640 Million to 361 U.S. Nonprofits」(2024年3月)/ CNN Business「MacKenzie Scott donates $640 million after open call」(2024年3月19日)
  • Center for Effective Philanthropy「Breaking the Mold: The Transformative Effect of MacKenzie Scott's Big Gifts」(2023年)
  • Council on Foundations(使途無制限助成の割合に関する推計)

本稿は公開情報にもとづく解説であり、特定の寄付手法や団体を推奨するものではありません。金額・団体数・年次は発表時点のもので、為替や集計方法により表記が異なる場合があります。最新かつ正確な情報は各一次資料をご確認ください。