応募することはできない。何に使うかを問われることもなく、成果の報告を求められることもない。ある日突然、一本の電話がかかってきて、これから五年にわたって八十万ドルを差し上げます、と告げられる——。ジョン・D・アンド・キャサリン・T・マッカーサー財団のフェロー・プログラム、通称「ジーニアス・グラント(天才助成)」は、フィランソロピーの世界でもとりわけ異質な設計を持つ。それは事業でも研究計画でもなく、ひとりの人間の潜在力そのものに賭ける仕組みだからである。本稿では、金額と年次を確認しながら、その静かな思想をたどってみたい。
- 助成額
- 2024年時点で1人あたり5年間で80万ドル。四半期ごとに分割して支給される(マッカーサー財団)。
- 開始年
- 1981年。以来2024年までに1,175人がフェローに選ばれた。
- 選考方式
- 本人は応募できず、匿名の推薦者による指名を経て選ばれる。指名の事実も、選出されるまで本人に知らされない。
- 使途
- 「無条件(no strings attached)」。報告義務も成果評価もなく、使い道は完全に自由。
- 思想
- プロジェクトではなく「人」への投資。過去の実績ではなく、将来の創造的潜在力に賭ける。
一本の電話から始まる助成
2024年10月、マッカーサー財団は22人の新たなフェローを発表した。演劇や美術の作り手、作家、科学者、歴史家、活動家、そして映画監督が一人。最年少は39歳、最年長は75歳の詩人フアン・フェリペ・エレーラだった。それぞれが5年にわたって80万ドルを受け取る。使い道は問われない。財団は受給者に特定の成果物も報告も求めず、フェローシップ期間中に受給者の創造性を評価することもしないと明言している。
この「無条件」という一語が、プログラムの核心にある。多くの助成金は、申請書に目的を書かせ、進捗を報告させ、成果を測ろうとする。マッカーサーはそのすべてを手放した。贈るのは資金ではなく、時間と自由である——そう言ってもよい。
「私が稼いだ。使い道は君たちが考えろ」
この風変わりな寄付機関の源流には、一人の実業家がいる。生命保険会社バンカーズ・ライフ・アンド・カジュアルティやフロリダの不動産で財を成したジョン・D・マッカーサーである。1978年1月6日に彼が没したとき、その資産は10億ドルを超えていたとされ、遺産の約9割が新設の財団に遺された。彼が財団の理事たちに残した言葉は、しばしば引用される。「私が金を稼いだ。それをどう使うかは、君たちが考えてくれ(I made the money. Now you figure out how to spend it.)」。
創業者自身は、具体的な使途をほとんど指定しなかった。フェロー・プログラムの構想を推し進めたのは、共同創設者の息子J・ロデリック・マッカーサーであり、制度の骨格をまとめたのは1978年から81年まで財団の顧問を務めた教育者F・チャンピオン・ウォードだった。彼らが描いたのは、分野を問わず並外れた将来性を持つ個人を見いだし、生活に困らぬだけの資金を長い期間にわたって渡し、あとは干渉せずに放っておく——という仕組みだった。
1981年、最初のフェローたち
最初のフェローシップが贈られたのは1981年である。当初の設計には、いまとは異なる工夫があった。開始年には、若いフェローには5年で12万ドル、最年長のフェローには30万ドルというように、年齢に応じて金額が変えられていたのである。若い才能ほど長く支えるべきだという発想だったが、この年齢連動方式はのちに廃され、現在は一律の金額に落ち着いている。
金額は時代とともに引き上げられてきた。2024年時点で80万ドルという水準は、開始当初の何倍にもあたる。毎年およそ20人から30人が選ばれ、1981年から2024年までに累計1,175人がフェローの列に加わった。作家、物理学者、振付師、法律家、大工道具の職人に至るまで、その顔ぶれは意図的に多様である。
匿名という設計思想
このプログラムを特徴づけるもう一つの要素が、選考の徹底した匿名性だ。個人は自ら応募することができない。幅広く多様な分野から集められた推薦者が候補者を指名し、その推薦者の名前も原則として公表されない。候補に挙がった事実すら、選ばれない限り本人には伝えられない。落選の通知が届くことはなく、多くの人は自分が検討されたことを生涯知らないままである。
なぜここまで秘匿するのか。理由の一つは、受給者を「勝ち取った人」ではなく「見いだされた人」に留めることにある。応募も自己アピールもないため、政治的な働きかけや自己宣伝の巧拙が入り込みにくい。もう一つは、贈与の側に立つ者の権力を薄めることだ。誰が推薦したかを伏せることで、フェローは特定の後見人に恩義を負わずにすむ。無条件の助成は、この匿名性と対になってはじめて、受給者の独立を担保する。
潜在力に賭けるという哲学
マッカーサー・フェローシップがしばしば「天才助成」と呼ばれるのは、外部から付いた通称であって、財団自身が好んで使う言葉ではない。財団が強調するのは「天才」の証明ではなく、これから何をなすか分からない創造的潜在力への投資である。過去の業績への褒賞であれば、実績のある大家に贈ればよい。だがこのプログラムは、まだ十分に知られていない人物、ある分野の縁に立って独自の道を切り拓きつつある人物をあえて選ぼうとする。
ここには、フィランソロピーの一つの賭け方が凝縮されている。成果を約束させて資金を出すのではなく、人の判断力そのものを信頼して手綱を委ねる。何に使うかは受け手が一番よく知っている、という前提に立つ。この「人に賭ける」流儀は、事業や指標を軸に組み立てられる現代の助成の潮流とは、あえて逆を向いている。効率や測定可能性ではなく、自由と時間こそが創造の触媒だという確信が、その底に流れている。
成果は測れるのか——批判と評価
もっとも、この設計は当初から批判の的でもあった。最大の論点は「効果が測れない」ことである。無条件を貫くがゆえに、フェローが資金で何をなしたかを財団は体系的に追跡してこなかった。生産性を測ろうとはしてこなかった、と担当者自身が述べている。成果評価を拒む制度は、その定義上、成果を語ることが難しい。
初期には、別種の批判もあった。潤沢な資金を渡された成功した科学者にとって、その額は研究の帰趨を大きく変えるものではなく、恵まれた者をさらに恵む結果になっているのではないか、という指摘である。選考についても、政治的な立場や学界の流行、既存の文化機関との縁が反映されやすいエリート主義だ、という声が繰り返し上がってきた。
財団はこれに対し、自ら評価を試みてもいる。40年余りを経た近年のレビューでは、フェローの多くが経済的安定の向上(93%)、創造性を発揮する機会の増加(88%)、自らの目標への前進(88%)、独立心と意欲の高まり(85%)を報告したという。効果の現れ方はフェローの背景や経験によって異なり、なかには負の影響を感じた者もいたと率直に記されている。無条件の助成は、成果を数字で証明することを最初から諦めた代わりに、受け手の証言に耳を澄ますという評価の形をとる。
人に賭けることの意味
マッカーサー・フェローシップが問いかけるのは、突き詰めれば「私たちは何を、あるいは誰を信頼するのか」という一点である。プロジェクトに賭ければ、成果は見えやすいが、想定の外へは出にくい。人に賭ければ、結果は測りにくいが、その人が五年後にどこへ向かうかを縛らずにすむ。どちらが正しいという話ではない。ただ、無条件の贈与が受け手にもたらすのは、失敗する自由を含んだ時間である、ということは確かだろう。
日本でこの仕組みをそのまま模倣することは難しい。だが、成果を約束させることばかりが助成ではない、という発想は、寄付を考えるすべての人にとって示唆に富む。人を信じて手綱を委ねる勇気——それが「人に賭けるフィランソロピー」の核心である。当団体では、支援の目的と手段を整理し、あなたにふさわしい寄付の形を一緒に設計するお手伝いをしています。
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- カーネギーとロックフェラー——近代フィランソロピーの源流——関連論考。
出典・参照
- MacArthur Foundation「MacArthur Fellows」および「Frequently Asked Questions」——助成額80万ドル・5年・無条件、選考と推薦の仕組み(macfound.org、2024年閲覧)
- MacArthur Foundation / NPR「Here's who made the 2024 MacArthur Fellows list」(2024年10月1日)——2024年フェロー22人、年齢構成、分野
- Wikipedia「MacArthur Fellows Program」——1981年開始、初年度の年齢連動額(12万〜30万ドル)、累計1,175人、プログラムの成立経緯(J・ロデリック・マッカーサー、F・チャンピオン・ウォード)
- MacArthur Foundation / Wikipedia「MacArthur Foundation」——ジョン・D・マッカーサーの逝去(1978年1月6日)と遺産、財団の設立
- Jonathan Fanton「Tracing MacArthur's History and Legacy」(Palm Beach Post、2008年2月24日、macfound.org 掲載)——「I made the money. Now you figure out how to spend it.」
- Commentary Magazine「The MacArthur Mistake」/The Week「The recurring problem with the MacArthur 'genius' grants」——エリート主義・効果測定をめぐる批判
- MacArthur Foundation「Evaluation of the MacArthur Fellows Program」——フェローの自己評価データと近年のレビュー
本稿は公開情報にもとづく解説であり、助成額・人数・年次は執筆時点(2024〜2025年発表分)のものです。制度の詳細は変更される場合があるため、最新の内容はマッカーサー財団の公式発表をご確認ください。特定の助成応募や税務・法務上の助言を目的とするものではありません。