世界には、一国の科学予算に匹敵する原資を握り、グローバルヘルスや医学研究の方向を左右する私的財団が存在する。その意思決定は、選挙で選ばれたわけでも、市場で検証されるわけでもない。にもかかわらず、ポリオ根絶やワクチン開発といった「公共」の課題に、彼らは巨額の資金を投じ続けている。本稿では、ビル&メリンダ・ゲイツ財団と英ウェルカム・トラストを中心に、フォード財団、オープン・ソサエティ財団を加え、その規模・手法・影響力と批判を最新の数値で整理し、日本の財団と静かに対比してみたい。

この記事の要点
ゲイツ財団の原資
基金の運用資産は2025年末で約890億ドル。年間支出は2025年に約85億ドル、2026年から年90億ドル規模へ引き上げる方針。
2045年の「閉鎖」
ゲイツ財団は2045年末に活動を終える計画を掲げ、今後20年でさらに約2,000億ドルを投じるとする。原資を意図的に使い切る「スピンダウン型」。
ウェルカム・トラスト
運用ポートフォリオは約399億ポンド(2025年9月末)。慈善支出は2024/25年度に約19億ポンドへ増加。原資を永続的に維持する「永続型」。
手法の分岐
グローバルヘルスへの戦略的集中(ゲイツ)、医学の基礎研究への長期投資(ウェルカム)、社会正義団体への柔軟な組織支援(フォードのBUILD)と、目的により助成設計が異なる。
日本との対比
日本財団の助成決定額は2025年度で約344億円規模。桁がひとつ以上違い、資産を運用益で回す欧米型とは原資構造も異なる。

ゲイツ財団——890億ドルを2045年までに使い切る

ビル&メリンダ・ゲイツ財団は、現時点で世界最大級の私的助成財団である。資産を保有・運用する基金トラストの規模は、2025年末で約890億ドルに達したと報じられている。2000年の設立以来、財団はグローバルヘルス、グローバル開発、米国内の教育などに資金を投じてきたが、その中核は一貫して「途上国の子どもの命を救う」ことにあった。年間の慈善支出は近年拡大を続け、2025年の慈善支援は約85億ドル。財団の理事会は2026年1月、年間約90億ドルの支出水準を承認したと発表した。これは段階的に引き上げてきた計画の到達点にあたる。さらに注目すべきは、2025年に示された「閉鎖」宣言である。財団は2045年末に活動を終え、それまでに追加およそ2,000億ドルを投じるとした。原資を永続させず、あえて使い切る——いわゆる「スピンダウン(spend-down)」型の設計を、これほどの規模で選んだ例は前例がない。

ポリオ根絶——一財団が背負う「最後の一マイル」

ゲイツ財団の象徴的な事業がポリオ根絶だ。1988年に始まった世界ポリオ根絶推進事業(GPEI)は、これまでに約180億ドルの資金を動かしてきたとされ、そのうちおよそ3割をゲイツ財団が担ってきた。2025年12月、アブダビで開かれた会合では、各国政府の援助削減が続くなか、総額19億ドルの拠出が表明され、うちゲイツ財団が約12億ドルを占めた。ここには巨大財団の役割と危うさが同居する。政府資金が縮む局面で、一財団の判断が根絶事業の存続を左右しうるという事実は、公共財の供給を私的意思に依存させることの構造的な脆さを浮かび上がらせる。援助削減を財団が埋めるほど、その影響力は増し、同時にアカウンタビリティの問いも重くなる。

ウェルカム・トラスト——医学研究を支える「永続型」

英国のウェルカム・トラストは、製薬事業家ヘンリー・ウェルカムの遺産を原資とする医学研究の助成財団で、世界有数の規模を誇る。運用ポートフォリオは2025年9月末で約399億ポンドに達する。ゲイツ財団が原資を使い切る方向に舵を切ったのとは対照的に、ウェルカムは運用益で助成を賄い、原資そのものを永続的に維持する「永続型(perpetual)」の設計を採る。2024/25年度の慈善支出は約19億ポンドで、前年の16億ポンドから2割増えた。これは10年で160億ポンドを投じる計画の一環である。現在の戦略は、精神保健、感染症、そして気候変動が健康に及ぼす影響という三つの世界的課題に集中しつつ、幅広い基礎研究(ディスカバリー・サイエンス)を土台として支える構成だ。ゲノム研究の中核拠点であるウェルカム・サンガー研究所を基幹助成で支えるなど、腰を据えた長期投資が特徴といえる。

フォードとオープン・ソサエティ——社会正義への賭け

グローバルヘルスや医学とは別の系譜に、社会正義や民主主義を掲げる財団がある。フォード財団は2024会計年度で資産約175億ドル、支出約10億ドルの規模を持ち、不平等の是正を主題に据える。象徴的なのが「BUILD」——20億ドルを投じ、社会正義に取り組む団体へ5年間の一般運営費(使途を縛らない資金)と組織強化を提供する仕組みだ。使途を細かく指定するプロジェクト助成が主流だった慣行に対し、団体そのものの体力を長期で支える発想は、助成手法の転換点として注目された。2020年、コロナ禍で財団は米国の課税社債市場で初めてラベル付き「ソーシャルボンド」10億ドルを発行し、原資を取り崩さずに助成を上積みするという新手法も示した。ジョージ・ソロスが創設したオープン・ソサエティ財団は、基金の規模が約230億ドル、ソロス個人からの累計拠出は320億ドルを超えるとされる。開かれた社会・民主主義・人権を掲げ、年間支出は近年17億ドル前後で推移してきた。一方で2023〜2024年にかけ、世界の職員のおよそ4割を削減する大規模な組織再編を断行し、助成の重点を絞り込んだ。巨大財団といえども、戦略の見直しと縮小は無縁ではないことを示す事例である。

影響力と批判——「誰も選んでいない」権力

巨大財団に向けられる批判は、おおむね三点に集約される。第一に、正統性の問題だ。彼らの優先順位は選挙や市場の検証を経ておらず、それでも国境を越えて政策を動かす。ゲイツ財団がWHOの主要な資金拠出者の一つである事実は、グローバルヘルスの議題設定に私的財団が強く関与することへの懸念を繰り返し呼んできた。第二に、資金源の問題。原資は多くが株式などの運用資産であり、その運用先と財団の理念が矛盾しうる。第三に、アカウンタビリティ。受益者ではなく理事会に対して説明責任を負う構造は、透明性を高める努力を続けても、原理的な緊張として残る。もっとも、これらの批判は財団の価値を否定するものではない。政府や市場が担いにくい長期・高リスクの領域に、腰を据えて資金を投じられることは、私的財団の固有の強みでもある。問われているのは、その力をどう規律づけ、どこまで透明にするかである。

日本の財団との対比——桁と構造の違い

日本にも歴史ある助成財団は少なくない。ボートレースの売上を主な財源とする日本財団は、2025年度に約344億円の助成を決定するなど、国内では最大級の規模を持つ。トヨタ財団のような研究・地域助成に定評のある財団も、着実な成果を積み上げてきた。だが欧米の巨大財団と並べると、二つの違いが際立つ。ひとつは桁だ。ゲイツ財団やウェルカムの年間支出は数十億ドル・十数億ポンド規模であり、日本の主要財団とは一桁以上の差がある。もうひとつは原資構造である。欧米型の多くは巨額の運用資産を抱え、その運用益で助成を回す。対して日本財団のように事業収益の交付を原資とする構造では、市場運用を軸とする設計とはリスクや持続性の性格が異なる。個人資産の集中の度合い、寄付税制、財団運用への社会的許容——背景の違いが、そのまま規模と手法の違いに表れている。スピンダウンか永続か、集中か分散か、健康か社会正義か。巨大財団の設計思想は一様ではない。日本でこれから財団を構想する人にとって、彼らの選択は答えではなく、問いの束として参照する価値がある。国内の財団の広がりは団体データベースで確かめられる。

出典・参照

  • Gates Foundation「Financial Information」「Foundation Fact Sheet」および2025年・2026年プレスリリース(資産約890億ドル、年間支出、2045年閉鎖・追加約2,000億ドル)
  • Global Polio Eradication Initiative/各報道(2025年12月、19億ドル拠出・ゲイツ財団約12億ドル、GPEI累計約180億ドル)
  • Wellcome「Annual Report and Financial Statements 2024/25」(運用資産約399億ポンド、慈善支出約19億ポンド、三つの重点課題)
  • Ford Foundation「Our Grants」「Social Bond FAQ」(資産約175億ドル、BUILD 20億ドル、ソーシャルボンド10億ドル)
  • Open Society Foundations「Financials」ほか(基金約230億ドル、ソロス拠出32億ドル超、組織再編)
  • 日本財団 助成ポータルおよび事業報告(2025年度助成決定 約344億円)

本稿の数値は公表資料に基づき執筆時点(2026年7月)で確認したものである。財団の資産・支出額は会計年度・為替・評価基準により変動し、最新の公式発表と差異が生じる場合がある。特定の財団への寄付・提携を推奨するものではない。