子や孫の世代に何を遺すか。事業や資産の承継とは別に、「学びの機会」そのものを次世代へ手渡すという選択がある。返済を求めない給付型奨学金を出す奨学財団の設立は、日本の篤志家が一世紀以上選び続けてきた、最も古典的なフィランソロピーである。国の給付型支援が2020年に本格化したいまだからこそ、民間の奨学財団に固有の役割が浮かび上がる。本稿では、その実務と実例に絞って整理する。

この記事の要点
国の給付型支援
高等教育の修学支援新制度(2020年4月開始)は授業料等減免と給付型奨学金のセット。令和6年度に約35万人を支援した(文部科学省)。
貸与の規模
日本学生支援機構(JASSO)の貸与奨学金は令和5年度に約111万人・貸与額約8,329億円。日本の奨学金の主軸は依然として貸与である。
民間団体の特徴
JASSOの平成30年度実態調査では、民間等の奨学金は受給者ベースで給付型が61.4%を占め、貸与中心の公的制度と対照的である。
民間財団の給付水準
柳井正財団は米国の大学で年11万5千ドルを上限に約40名、江副記念リクルート財団は学術部門で年間上限1,000万円、似鳥国際奨学財団は月額5万円を最大220名(各財団公表値)。
税制
公益認定を受けた奨学財団への寄付は所得控除等の対象。現物資産のみなし譲渡所得非課税、相続財産寄付の相続税非課税の途もある(国税庁・内閣府)。

貸与大国の中の「給付」という空白

日本の奨学金は長く「借りるもの」であった。JASSOの令和5事業年度実績(2024年公表)によれば、同年度の貸与人員は約111万人、貸与額は約8,329億円にのぼる。一方、返済不要の給付奨学金は2017年度の制度創設から令和5年度までの累計で延べ134万人・5,933億円と、歴史も規模もまだ浅い。転機は2020年4月に始まった高等教育の修学支援新制度である。住民税非課税世帯とそれに準ずる世帯を対象に授業料等減免と給付型奨学金をセットで支給し、令和6年度には約35万人を支援した(文部科学省)。令和7年度からは多子世帯への所得制限のない授業料等減免も加わった。しかし公的支援は所得要件で対象が画されており、その基準をわずかに超える家庭、海外大学への挑戦、芸術・スポーツといった領域には、なお広い空白が残る。

民間奨学財団という担い手

この空白を埋めてきたのが民間の奨学団体である。JASSOが実施していた「奨学事業に関する実態調査」(平成30年度実施、令和2年度以降廃止)によれば、学校・地方公共団体・民間団体等が行う奨学金は受給者ベースで給付型が61.4%を占め、実施主体別では公益法人等の団体が最も大きな割合を占めた。国が貸与で「面」を支えるなら、民間は給付で「点」を深く支えてきた構図である。対象、金額、理念を設立者が自由に設計できることが、民間財団の本質的な強みである。

名を冠するということ——三つの設計思想

公表値から、対照的な三つの設計を見ることができる。江副記念リクルート財団(1971年創設)は学術・アート・スポーツ・音楽の4部門で「ずば抜けた」若者を支援し、学術部門では学費と生活費をあわせ年間1,000万円を上限に給付する。柳井正財団は米英等のトップ大学に進む学部生に、米国で年11万5千ドル(4年間で最大46万ドル)、英国で年7万ポンドを上限に支給し、採用は年40名程度である。少数に厚く、という尖塔型の設計だ。対して似鳥国際奨学財団は、大学生・大学院生に月額5万円(IT人材奨学生は8万円)を年間最大220名に給付する。多数に広く、という裾野型である。どちらが正しいという話ではない。設立者が何を信じるかが、そのまま制度の形になる。名を冠するとは、その価値観に署名することにほかならない。

設計の実務——誰に、いくら、何人

制度設計は「月額×12か月×人数×標準修業年限」という掛け算から始まる。月額3〜5万円であれば、年間1,000万円の給付原資で20名前後を支えられる。留意すべきは継続給付の負債性である。4年間の継続採用を約束すれば、初年度採用者への支払いは4年分積み上がる。財源は基本財産の運用益で賄うか、設立者や企業が毎年追加寄付するかの二択が基本で、低金利下では後者を組み合わせる財団が多い。選考は大学推薦か公募か、他の給付型奨学金との併給を認めるか、成績報告や交流会参加を求めるか——返済を求めない以上、奨学生との関係の設計こそが財団の生命線となる。多くの財団が奨学生同士の縦横のコミュニティ形成に力を注ぐのは、給付金額と同等以上の価値がそこに生まれるからである。

設立の実務——一般財団から公益認定へ

手順としては、まず財産拠出300万円以上で一般財団法人を設立し、その後に行政庁(内閣府または都道府県)の公益認定を受けるのが標準的な経路である。公益認定には、公益目的事業比率50%以上、収支相償、遊休財産の保有制限といった基準への適合が求められるが、奨学金給付は公益目的事業の代表格であり、事業目的が明確な奨学財団は制度と親和的である。理事・評議員・監事の機関設計と事務局の実務体制も要る。年間給付が数百万円規模であれば、独立の財団ではなく、既存の公益財団に「冠基金」を設ける方法も現実的な選択肢となる。

税制——寄付する側と財団の側

公益認定の意味は税制に集約される。個人が公益財団法人に寄付すれば所得控除(一定の要件を満たす法人へは税額控除との選択)の対象となり、法人の寄付には特定公益増進法人向けの別枠損金算入が認められる(文部科学省・国税庁)。さらに、有価証券など値上がり資産を現物で拠出する場合、国税庁長官の承認を受ければみなし譲渡所得課税が非課税となる租税特別措置法40条の制度があり、創業者が自社株で財団を設立する際の基盤となっている。相続人が相続財産を公益法人に寄付した場合の相続税非課税(同70条)も、遺贈による財団設立を支える。財団の側では、公益目的事業から生じる所得は法人税の課税対象外である。遺言で奨学財団の設立や冠基金への寄付を託す方法は遺贈寄付の解説で詳述している。いずれも要件が細かく、公益法人実務に通じた専門家の関与が不可欠である。

百年の計として

奨学財団の効果は、設立者の存命中には測りきれない。ただ、貸与111万人の国で返済のいらない学資を出すことの意味は、受け取った学生が最もよく知っている。一人の篤志が名を冠した制度となり、制度が人を育て、育った人が次の誰かを支える。教育への寄付が「百年の計」と呼ばれるのは修辞ではなく、時間の設計図として、である。

出典・参照

  • 日本学生支援機構「令和5事業年度業務実績等」(2024年、jasso.go.jp)——貸与人員約111万人・貸与額約8,329億円、給付奨学金の累計実績。
  • 日本学生支援機構「奨学金事業に関するデータ集」(2026年1月、jasso.go.jp)
  • 文部科学省「高等教育の修学支援新制度」(2026年7月閲覧、mext.go.jp)——2020年4月開始、令和6年度約35万人支援、多子世帯支援の拡充。
  • 日本学生支援機構「奨学事業に関する実態調査」(平成30年度実施、jasso.go.jp)——給付型61.4%等。同調査は令和2年度以降廃止。
  • 公益財団法人江副記念リクルート財団 公式サイト(2026年7月閲覧、recruit-foundation.org)——学術部門年間上限1,000万円等。
  • 公益財団法人似鳥国際奨学財団「2026年度奨学生募集要項」(2026年、nitori-shougakuzaidan.com)——月額5万円・最大220名等。
  • 公益財団法人柳井正財団「応募要項」(2026年、yanaitadashi-foundation.or.jp)——米国年11万5千ドル上限・約40名等。
  • 国税庁 タックスアンサーNo.1266「公益社団法人等に寄附をしたとき」(2026年7月閲覧、nta.go.jp)
  • 内閣府 公益法人information「公益法人税制」(2026年7月閲覧、koeki-info.go.jp)
  • 文部科学省「寄附金関係の税制について」(2026年7月閲覧、mext.go.jp)

本稿は公表情報に基づく一般的な解説であり、特定の団体・制度の利用を推奨するものではありません。各財団の募集要項・給付額は年度により変更されます。財団設立や税制優遇の適用にあたっては、最新の一次情報を確認のうえ、税理士・弁護士等の専門家にご相談ください。