医療は、しばしば数の論理で動く。患者が多い疾患には市場が生まれ、企業が投資し、治療法が磨かれていく。だが患者が少ない疾患では、この循環が働かない。開発費は同じでも回収の見込みが立たず、統計の分母が小さいために社会の関心も集まりにくい。難病・希少疾患とは、まさにこの「数の論理の外側」に置かれた領域である。そこでは、公的制度と、患者自身が組織する患者団体と、そして治療法開発の空隙を埋めようとするフィランソロピーが、それぞれの役割を担ってきた。本稿は、その資金構造を統計と一次情報から静かに確認する。
- 指定難病の受給者数
- 2023年度末時点で、特定医療費(指定難病)受給者証の所持者数は1,087,039人にのぼる(厚生労働省「衛生行政報告例」令和5年度)。
- 難病法という枠組み
- 「難病の患者に対する医療等に関する法律」(難病法)は2015年1月に施行され、対象は施行前の56疾患から拡大し、2025年4月時点で指定難病は348に達した(難病情報センター)。
- 希少疾患の規模
- 日本では患者数が概ね5万人未満の疾患を希少疾患とし、世界では約7,000種・約3億人が該当すると推計される(オーファンパシフィック社ほか)。
- 患者団体の全国組織
- 日本難病・疾病団体協議会(JPA)は2005年に設立され、約100の患者・家族団体で構成される連合体として、交流・啓発・立法への働きかけを担う(JPA公式サイト)。
- ベンチャー・フィランソロピーの到達点
- 米国の嚢胞性線維症財団(CFF)は開発企業への投資で得たロイヤリティ権を2014年に33億ドルで売却し、非営利による創薬支援の一つの完成形を示した(Royalty Pharma発表、2014年11月)。
数の論理の外側——難病・希少疾患とは何か
「難病」と「希少疾患」は重なりつつも由来の異なる概念である。日本の行政上の「難病」は、発病の機構が明らかでなく、治療法が確立しておらず、希少で、長期の療養を要する疾患を指す。一方「希少疾患(レア・ディジーズ)」は患者数の少なさに着目した国際的な括りで、日本では患者数が概ね5万人未満の疾患をこう呼ぶ。世界では、欧州連合が用いる「2,000人に1人未満」といった基準で数えると6,000を超える疾患が該当し、種類は約7,000、患者総数は約3億人、その半数は小児・乳幼児とされる(オーファンパシフィック社の解説ほか)。一つひとつは稀でも、束ねれば決して小さくない。この「個々には希少だが総体では膨大」という非対称性こそ、この領域を理解する鍵である。
難病法という枠組み——2015年の再設計
日本の難病対策は長く、法律ではなく予算事業として運用されてきた。1972年の難病対策要綱に始まる医療費助成は、対象疾患を限定した任意の仕組みにとどまり、公平性と安定性に課題を抱えていた。これを法的な制度へと組み替えたのが、2015年1月に施行された「難病の患者に対する医療等に関する法律」、通称・難病法である。この法律により、医療費助成は消費税を財源とする義務的経費となり、国が費用の半分を負担する仕組みが確立した。対象となる「指定難病」は施行前の56疾患から段階的に拡大し、施行時に110、2025年4月時点では348に達している(難病情報センター)。そして特定医療費(指定難病)受給者証の所持者数は、2023年度末で1,087,039人(厚生労働省「衛生行政報告例」)。人口のおよそ100人に1人弱という規模である。
制度の届かない領域——なぜ患者団体が要るのか
だが、指定難病348という数字の外側には、なお広大な未指定の領域が広がっている。世界で7,000とされる希少疾患のうち、日本で医療費助成の対象となるのはごく一部にすぎない。診断がつくまでに何年もかかる疾患、患者が数十人しか確認されていない疾患、症例が少なすぎて診療ガイドラインすら存在しない疾患——こうした「数の論理の外側」では、公的制度も市場もその輪郭を捉えきれない。ここで機能してきたのが、患者と家族が自ら組織する患者団体である。患者会は、孤立しがちな患者をつなぎ、断片的な症例情報を集約し、研究者に検体や自然歴データを提供し、そして制度の谷間を政策の言葉に翻訳して立法府に届ける。数が少ないがゆえに声が届きにくい領域で、患者団体は当事者性という他に代えがたい資源を担っている。
患者会の役割と資金構造——JPAを軸に
日本の患者団体の全国組織が、日本難病・疾病団体協議会(JPA)である。2005年に既存の連絡協議会が統合して発足し、2011年に一般社団法人へ改組した。約100の患者・家族団体を束ね、患者同士の交流や社会への啓発、難病患者サポート事業を通じた研修、そして国会請願や厚生労働省への働きかけといった政策提言を担う。難病法の成立過程でも、患者団体の粘り強い運動が立法を後押ししたことは記録に残る。もっとも、その運営基盤は決して盤石ではない。多くの患者会は会費と少額の寄付、わずかな助成金で成り立ち、事務局は当事者やその家族のボランティアに支えられている。患者数が少ない疾患ほど会員も少なく、会費収入は限られ、専従職員を置けない団体も珍しくない。当事者性という最大の強みが、そのまま資金基盤の脆さと表裏一体になっている——ここに、フィランソロピーが静かに介在する余地がある。
ベンチャー・フィランソロピー——CFFとVertexの33億ドル
患者団体の資金が創薬そのものを動かしうることを、最も鮮烈に示したのが米国の嚢胞性線維症財団(Cystic Fibrosis Foundation, CFF)である。嚢胞性線維症は欧米に多い遺伝性の希少疾患で、かつて有効な根治療法がなかった。CFFは1990年代後半以降、寄付で集めた資金を製薬・バイオ企業の研究開発に投じるという手法をとった。単なる助成ではなく、成功すればロイヤリティを受け取る条件付きの投資——ベンチャー・フィランソロピーと呼ばれるこの手法で、CFFは後にバーテックス社に統合される企業の開発に累計で1億ドル超を投じたと報じられる。その成果として2012年、原因遺伝子の変異に作用する初の治療薬アイバカフトル(Kalydeco)が米国FDAに承認された。そしてCFFは2014年11月、この治療薬などから得られるロイヤリティ権を投資会社ロイヤリティ・ファーマに33億ドルで売却したと発表した。寄付が創薬を生み、その果実が再び研究資金として財団に還流する。非営利による医療投資の一つの完成形が、ここに示された。
日本の研究資金——制度と民間の間で
日本で難病・希少疾患の研究を支える公的な柱は、2015年に発足した日本医療研究開発機構(AMED)である。AMEDは診断基準や疫学を担う「難治性疾患政策研究事業」と、治療法開発を目指す「難治性疾患実用化研究事業」を運営し、後者では2023年度に約200課題を支援した。診断のつかない患者を全国のネットワークで解析する未診断疾患イニシアチブ(IRUD)も、その一環である。しかし国費の重点は、どうしても一定の患者規模や実用化の見込みがある領域に向かいやすい。CFFの事例が日本にそのまま移植できるわけでもない。市場規模も寄付文化も税制も異なるからである。それでも、公的資金が拾いきれない超希少疾患の基礎研究、患者レジストリの構築、若手研究者の育成といった「制度と市場の隙間」にこそ、民間の助成財団や個人フィランソロピストが担いうる余地は確かに存在する。当サイトの財団・助成団体データベースには、医療分野を含む国内の助成団体が分野別に収録されている。
寄付者への示唆——静けさに対する作法
最後に、この領域に資金を投じる際の作法に触れたい。第一に、成果の可視性を急がないことである。希少疾患の研究は分母が小さく、治験の設計も難しく、成果が見えるまでに長い時間を要する。単年度の派手な成果より、複数年にわたる基盤への継続支援が現場を動かす。第二に、当事者組織そのものを支えることである。患者会の事務局運営やレジストリ維持といった「地味な費用」は、どの助成金も敬遠しがちでありながら、当事者性という資源を保つ生命線である。第三に、個別疾患への直接支援と並んで、複数の希少疾患を横断して支える中間支援や、診断のつかない患者を減らす仕組みにも視野を広げることである。数が少ないという理由だけで、医療の外側に置かれてよい病はない。数の論理が届かないところにこそ、成熟した富の静かな出番がある。
- 財団・助成団体データベース——医療・難病分野を含む国内の財団・助成団体を分野別に検索できる。研究助成先や患者団体支援の候補調査に活用できる。
- サービス一覧——寄付・助成の設計や支援先の選定に関する当サイトの支援メニューを一覧できる。
- 動物福祉への寄付——殺処分ゼロと、その先の設計——関連論考。
- 芸術文化への寄付——アーツカウンシルと「アームズ・レングス」の思想——関連論考。
- 遺贈寄付の現在地——人生の最後に、意志を手渡す——関連論考。
出典・参照
- 厚生労働省「衛生行政報告例」令和5年度 第10章 難病・小児慢性特定疾病(特定医療費(指定難病)受給者証所持者数、e-Stat・政府統計の総合窓口)
- 難病情報センター「特定医療費(指定難病)受給者証所持者数」「指定難病患者への医療費助成制度のご案内」(nanbyou.or.jp)
- 厚生労働省「難病対策」(難病法・指定難病の概要、mhlw.go.jp)
- オーファンパシフィック株式会社「Rare Disease Day」「オーファンドラッグとは」(希少疾患の定義・規模の解説、orphanpacific.com)
- 一般社団法人 日本難病・疾病団体協議会(JPA)公式サイト(nanbyo.jp / nanbyo.online)
- Royalty Pharma「Royalty Pharma Announces $3.3 Billion Royalty Transaction with Cystic Fibrosis Foundation Therapeutics」(2014年11月、royaltypharma.com)
- Cystic Fibrosis Foundation「Our Venture Philanthropy Model」ほか(cff.org)/Chemical & Engineering News、BioPharma Dive、Scientific American各報道(2014年)
- 国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)「難治性疾患実用化研究事業」「未診断疾患イニシアチブ(IRUD)」(amed.go.jp)
本稿は公開情報に基づく解説であり、特定の団体への寄付や、医療・法務・税務上の判断を勧誘・助言するものではない。統計数値はいずれも出典に記載の時点のものであり、最新の状況は各出典・各団体の公表資料を確認されたい。