鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが生涯とその財団を通じて建てた図書館は、2,509館にのぼる。だが本稿が光を当てるのは、人物ではない。「図書館」という装置そのものである。なぜ篤志家たちは、病院でも劇場でもなく、しばしば図書館に富を注いできたのか。カーネギーの無料図書館から、関東大震災後の東京帝国大学を救った一通の電報、戦後日本の私立専門図書館、そして現代の私設図書館運動まで——図書館と篤志の百二十年を、静かにたどってみたい。
- カーネギー図書館の規模
- 1883〜1929年に世界で2,509館を建設。拠出総額は約5,600万ドル(カーネギー財団公表資料)
- 日本の図書館数
- 3,394館で過去最多(文部科学省「令和3年度社会教育調査」、2021年10月1日現在)
- 震災復興を支えた寄付
- 1924年、ロックフェラー2世が東京帝国大学図書館の再建へ400万円を無条件で寄付(東京大学附属図書館沿革)
- 戦後日本の私立図書館
- 1947年開館のお茶の水図書館(現・石川武美記念図書館)、1971年開館の大宅壮一文庫はいずれも個人の志に発する
- 私設図書館の現在
- まちライブラリーは2011年の提唱から広がり、2023年6月に1,000拠点目が東京都西東京市に開設された(公式サイト)
図書館という装置に寄付するということ
寄付の対象として、図書館は特異な位置を占める。一冊の本は私有できる。だが図書館は、本の共有を制度として永続させる仕組みであり、寄付者の死後も知の循環を止めない。奨学金が「人」に、病院が「身体」に働きかけるのに対し、図書館は「誰が来るか分からない未来の読者」に開かれている。受益者を特定できないがゆえに、もっとも純度の高い公共への投資だと言うこともできる。カーネギーの人物論は本サイトの別稿に譲るとして、本稿では彼が選んだこの装置の系譜——建物と蔵書と仕組みへの寄付の歴史を追う。
2,509館——ひとつの装置の世界的複製
カーネギーによる図書館建設は、1881年に故郷スコットランド・ダンファームリンへの寄贈に始まり、1883年から1929年までに世界で2,509館に達した。内訳は米国1,689館、英国・アイルランド660館、カナダ125館、ほか豪州、ニュージーランド、南アフリカなどに及ぶ。拠出総額は約5,600万ドル。カーネギー財団(カーネギー・コーポレーション・オブ・ニューヨーク)が今日も公表する数字である。特筆すべきは、これが一人の篤志家による「単館の記念碑」ではなく、標準化された装置の大量複製だったことだ。図書館は、複製可能なフィランソロピーの最初の成功例であった。
建物は寄付、運営は公共——仕組みの設計
カーネギーの図書館寄付には条件があった。建設費は出すが、敷地は自治体が用意し、運営費として建設費の一割相当を毎年公費で負担することを議会が約束する——という枠組みである。寄付が一過性の恩恵で終わらず、地域が自らの制度として図書館を引き受ける構造を、あらかじめ設計に織り込んだのだ。今日の言葉で言えばマッチング型の助成であり、出口戦略を内蔵した寄付である。「施しは人を弱くする、装置は人を強くする」という彼の自助の哲学は、この設計にこそ表れている。寄付は建物に対してなされたが、真の贈与は仕組みだった。
震災の灰の中から——東京帝国大学とロックフェラー
日本の図書館史にも、海を越えた大口寄付の記憶が刻まれている。1923年の関東大震災で東京帝国大学の図書館は焼失し、約75万冊の蔵書が失われた。翌1924年12月30日、ジョン・D・ロックフェラー2世から総長宛に400万円を寄付するという電報が届く。建物への命名も含め、一切の条件を付さない寄付であった。新図書館は1926年に着工し、1928年12月に竣工する。同じ時期、紀州徳川家の私設文庫であった南葵文庫の蔵書も同大学に寄贈され、復興を支えた。大学図書館への寄付という点では、1915年に竣工したハーバード大学のワイドナー記念図書館——タイタニック号で没した蔵書家の母が息子を記念して寄贈した——と並び、災厄と喪失が知の装置への贈与を生んだ例として記憶されてよい。
出版人の恩返し——大橋図書館から石川武美記念図書館へ
日本の民間図書館の系譜は、出版で財を成した者たちの「本への恩返し」として始まった面がある。1902年、博文館の創業者・大橋佐平は私財を投じて東京・麹町に私立の大橋図書館を開いた。戦後では、『主婦之友』を創刊した主婦の友社創業者・石川武美(1887-1961)が、1941年に財団を設立し、1947年12月、女性のための私立図書館「お茶の水図書館」を東京・お茶の水に開館した。女性誌の専門コレクションを核とするこの図書館は、のちに創業者の名を冠して石川武美記念図書館と改称され、現在も一般財団法人として運営されている。出版という営利の果実を、読むことの公共へ還す——この循環は、日本型図書館フィランソロピーのひとつの原型である。
個人の蔵書が公共になるとき——大宅壮一文庫
評論家・大宅壮一(1900-1970)は、生涯にわたり古書市に通い、約20万冊——その大半は雑誌——を遺した。自ら「雑草文庫」と称して知人に開放していたこのコレクションを基に、没後の1971年5月、日本初の雑誌専門図書館「大宅壮一文庫」が東京・世田谷に開館する。各界の援助により設立され、現在は公益財団法人として運営される同文庫の蔵書は、2018年時点で雑誌約1万種・78万冊に達した。ここにあるのは、建物への寄付とは別のかたち——個人の蔵書そのものが遺産として公共化される道筋である。コレクションの寄贈は、金銭の寄付と並ぶ図書館フィランソロピーのもうひとつの柱であり、遺贈の設計とも深く関わる主題である。
「小さな公共」の時代——まちライブラリーと現代の担い手へ
文部科学省の令和3年度社会教育調査によれば、日本の図書館数は3,394館(2021年10月1日現在)で過去最多を更新した。だが同じ調査は、一人当たり貸出冊数の減少も示している。量的整備が一巡した現在、民間の関心は「小さな図書館を自ら開く」方向へ向かいつつある。2011年に大阪で提唱された「まちライブラリー」は、メッセージを添えた本を人々が持ち寄り、カフェや病院、寺院、オフィスの一角を私設の図書館にしていく運動であり、2023年6月には1,000拠点目が東京都西東京市の企業所有地内に開設された。カーネギーの2,509館が「上からの複製」だったとすれば、こちらは「下からの増殖」である。規模は小さくとも、私財と蔵書を開いて知の共有装置をつくるという行為の本質は、百二十年前と変わらない。建物を建てるか、蔵書を遺すか、運営を支える基金を置くか——図書館への篤志には今も複数の入口が開かれている。それは、寄付者がこの世を去ったあとも読まれ続ける、もっとも息の長い贈与のかたちである。
- 財団・助成団体データベース——図書館・読書振興を含む文化・教育分野の助成財団を財務データとともに検索できる。
- 遺贈寄付ガイド——蔵書やコレクションの寄贈、図書館を受遺者とする遺贈の基本的な考え方と手続きを解説。
- 名を伏せて与える——匿名フィランソロピーの設計——関連論考。
- 効果的利他主義入門——「最も効く寄付」の思想と論争——関連論考。
- エンダウメントの思想——なぜ米国の大学は巨大な基金を持つのか——関連論考。
出典・参照
- Carnegie Corporation of New York「Andrew Carnegie's Library Legacy」(carnegie.org、閲覧2026年)——2,509館・約5,600万ドルの公表数値
- Wikipedia "Carnegie library"(en.wikipedia.org、閲覧2026年)——1883〜1929年の建設期間と国別内訳
- 文部科学省「令和3年度社会教育統計(社会教育調査報告書)」(2023年3月公表、mext.go.jp)——図書館数3,394館、貸出統計
- 日本図書館協会「日本の図書館 統計と名簿 2024」(2025年刊、jla.or.jp)——公共図書館統計の基礎資料
- 東京大学附属図書館「図書館再建(震災直後から昭和初期)」(lib.u-tokyo.ac.jp、閲覧2026年)——ロックフェラー2世の400万円寄付(1924年)と1928年竣工
- 一般財団法人石川武美記念図書館 公式サイト(ochato.or.jp、閲覧2026年)——1941年財団設立・1947年開館の沿革
- 公益財団法人大宅壮一文庫 公式サイト(oya-bunko.or.jp、閲覧2026年)——1971年開館、蔵書約78万冊(2018年時点)
- まちライブラリー公式サイト(machi-library.org、閲覧2026年)——2011年提唱の経緯、1,000拠点目(2023年6月・西東京市)の登録情報
本稿の数値・事実関係は各出典の公表時点のものであり、その後変更されている可能性があります。本稿は情報提供を目的とするものであり、特定の寄付行為・団体への出捐を勧誘するものではありません。寄付・遺贈の実行に際しては、専門家にご相談ください。