ハーバード大学の基金は、2025会計年度末で約556億ドル——日本円にして8兆円を超える。イェール約441億ドル、スタンフォード約408億ドル、プリンストン約364億ドルと続く。なぜ米国の大学は、これほど巨大な「エンダウメント(恒久基金)」を築けたのか。その答えは運用の巧みさだけにあるのではない。元本には手をつけず、運用益の一部だけを永遠に使い続けるという、時間を味方につける設計思想にある。本稿は、エンダウメントという器の思想と技術——永続の原則、イェール・モデル、支出ルール、そして2025年に導入された新しい課税——を解き、日本の財団や大学基金への示唆を考える。
- 規模
- FY2025でハーバード約556億ドル、イェール約441億ドル、スタンフォード約408億ドル。大学基金の平均運用リターンは10.9%
- 永続の原則
- 元本(コーパス)を維持し、運用益の一部だけを毎年使う。世代を超えて価値を供給し続ける「永久機関」の思想
- 支出ルール
- 年4〜5%程度を上限に取り崩す。イェールは目標支出率5.25%。インフレを差し引いても元本が痩せない設計
- イェール・モデル
- デイビッド・スウェンセンが確立。株・債券に留まらず未公開株・不動産等の非流動資産へ分散し、長期の非流動性プレミアムを取りにいく
- 2025年の転機
- 米国は基金への課税を強化。学生1人あたり資産が大きい大学ほど高率(最大8%)。永続モデルに新たな逆風
エンダウメントとは何か
エンダウメント(endowment)とは、大学や財団が元本を恒久的に保全し、その運用益によって活動を支える基金である。寄付された資金はそのまま使い切られるのではなく、投資に回され、生み出された果実の一部だけが毎年の奨学金・研究費・運営費に充てられる。木を切り倒すのではなく、実だけを収穫し続ける——それがエンダウメントの発想だ。
この仕組みの要点は「時間」にある。100の寄付を今年使えば100で終わる。しかし100を基金に組み入れ、年7%で運用し年5%を使えば、元本は年2%ずつ成長しながら、毎年5の給付を永遠に生み続ける。寄付者の意志が、一度きりの善行ではなく、世代を超える制度として固定される。米国の大学が卒業生からの寄付を熱心に集め、それを基金に積み上げてきたのは、この永続の力を知っているからだ。
永続を可能にする「支出ルール」
永続の鍵を握るのが支出ルール(spending rule)である。基金からいくら取り崩すかを、その年の運用成績の気分で決めるのではなく、あらかじめ定めた率に縛る。多くの大学は年4〜5%前後を上限とし、複数年の平均値を用いて単年の市場変動を吸収する。イェールの目標支出率は5.25%で、税や環境が変わっても安定を保つ設計だ。
なぜ5%前後なのか。長期の運用リターンから、インフレ率と、元本を実質的に維持するための余裕を差し引くと、持続的に使える割合はおおむねこの水準に落ち着く。使いすぎれば基金は痩せ、使わなすぎれば「今を生きる人々」への責任を果たせない。支出ルールは、現在の受益者と未来の受益者の間の公平を数式に落とし込んだ、世代間の約束である。
イェール・モデル——非流動性を味方にする
巨大化を支えたもう一つの柱が、運用哲学の革新だ。故デイビッド・スウェンセンが1985年から築いたイェール・モデルは、株式と債券という伝統的な二資産から大きく踏み出し、未公開株(プライベート・エクイティ)、ヘッジファンド、不動産、天然資源など非流動資産へ大胆に分散する戦略である。
その核心は逆説的だ。多くの投資家は「いつでも売れる」流動性を好むが、スウェンセンは流動性はむしろ避けるべきコストだと考えた。何十年も動かさなくてよいエンダウメントは、すぐに換金できない資産をあえて持つことで、その我慢の対価としての非流動性プレミアムを長期にわたって収穫できる。時間軸が長いという構造的な強みを、リターンへ変換する発想だ。これが多くの大学に模倣され、エンダウメント運用の主流となった。もっとも、非流動資産への傾斜は市場急変時の換金性リスクも抱えるため、規模と時間軸のある主体でこそ成り立つ戦略である点は見落とせない。
2025年の転機——エンダウメント課税の強化
永続を前提としたこのモデルに、いま新たな逆風が吹いている。米国では2025年に成立した税制により、大学基金への消費税的な課税(excise tax)が大幅に強化された。従来は一定規模以上の私立大学の純投資収益に1.4%を課すのみだったが、新制度は学生1人あたりの基金資産が大きい大学ほど高い税率を課す段階制へ移行した。学生1人あたり200万ドル以上の大学には8%、75万〜200万ドルには4%、50万〜75万ドルには従来どおり1.4%が適用される。
ハーバード、イェール、スタンフォード、プリンストン、MITなどは最上位の8%が見込まれ、イェールでは2026年7月以降の運用益から影響が及び、年およそ3億ドルの追加負担と試算されている。運用益の8%への課税は、実際に使える支出(約5.25%)に対しては約12.5%の目減りに相当する。「元本を守り果実で公益を支える」という永続モデルが、税制によってどこまで持続可能かが問われ始めている。富の集中と、それを支える優遇税制のあり方をめぐる、より大きな論争の一部でもある。
日本への示唆——「永続の器」をどう根づかせるか
日本にも大学基金や公益財団のエンダウメントは存在するが、規模と運用の自由度では米国に遠く及ばない。背景には、寄付文化の厚みの差に加え、基金運用に対する制度・ガバナンスの慎重さがある。公益法人には遊休財産規制や収支相償といった枠があり、「貯め込み」を戒める思想が強い。これは私物化を防ぐ健全な規律である一方、長期運用による基金の成長とは緊張関係に立つ。財団設立の完全ガイドで触れたとおり、器を作ることより回し続けることのほうが難しい。
それでも、エンダウメントの思想が日本の富裕層フィランソロピーに与える示唆は大きい。第一に、一度きりの寄付より、永続する基金のほうが意志を遠くまで運ぶという時間の発想。第二に、支出ルールという世代間の公平の設計。第三に、運用と公益のバランスをどう取るかというガバナンスの問題だ。冠基金やコミュニティ財団を通じて「小さなエンダウメント」を持つことは、個人にも十分に可能である。富の福音を2026年に読み直すで論じた「富は社会からの預かりもの」という思想は、まさにこの永続の器において最も具体的な形を取る。
器の大きさは意志の規模に合わせればよい。数兆円の大学基金も、地域の小さな冠基金も、「元本を守り、果実で公益を支え、世代を超えて続ける」という一点で同じ思想を共有している。どんな器が自分の意志に見合うかを考えるとき、団体データベースに並ぶ国内の財団・基金は、その多様さを映す鏡になる。
- NACUBO(全米大学ビジネス管理者協会)— 大学基金の年次調査 ↗
- Yale University「University Endowment Tax and Federal Funding」FAQ ↗
- List of US colleges and universities by endowment(Wikipedia)↗
- 名を伏せて与える——匿名フィランソロピーの設計——関連論考。
- 効果的利他主義入門——「最も効く寄付」の思想と論争——関連論考。
- 貧困研究とエビデンス——J-PALとRCTが変えた寄付の考え方——関連論考。
出典・参照
- 2025 NACUBO-Commonfund Study of Endowments(FY2025 平均リターン10.9%、各大学基金規模)
- Yale University 学長・プロボスト室の公表資料(支出率5.25%、エンダウメント税の影響試算)
- 2025年米国税制改正(エンダウメント消費税の段階制:8%/4%/1.4%)に関する報道(Forbes、PBS News、Yale Daily News 等)
- 関連:財団設立 完全ガイド/富の福音を2026年に読み直す/団体データベース
本記事は一般的な情報提供および教養を目的とし、特定の投資・寄付を推奨するものではない。基金の規模・運用成績・税制は時期により変動し、将来を保証するものではない。運用や基金設計の実務は専門家に確認されたい。