日本のフィランソロピーを語るとき、渋沢栄一の名はあまりに大きい。約六百の社会事業に関わったとされるその足跡は、たしかに近代日本の公益の骨格をつくった。しかしその光の陰で、名を秘し、あるいは郷里に根を張り、私財を黙々と公共に投じ続けた実業家たちがいたことは、あまり語られない。本稿では大原孫三郎、安田善次郎、根津嘉一郎、広岡浅子——いずれも故人である四人の事績を公式資料に基づいてたどり、日本に確かに存在した篤志の系譜を描いてみたい。
- 安田善次郎の「陰徳」
- 東大安田講堂(1925年竣工)と日比谷公会堂(1929年竣工)は、いずれも匿名を条件とした安田善次郎の寄付によって建てられた。
- 大原孫三郎の連続投資
- 石井十次の孤児院支援に始まり、大原社会問題研究所(1919年)、倉敷労働科学研究所(1921年)、大原美術館(1930年開館)を私財で設立した。
- 根津嘉一郎の育英
- 1922年に日本初の私立七年制高等学校・旧制武蔵高等学校を創立。没後の1941年、遺志により根津美術館が開館した。
- 広岡浅子の女子教育支援
- 成瀬仁蔵の構想に共鳴し、創立発起人として資金と人脈を投じ、1901年の日本女子大学校開校を実現に導いた。
- 共通する思想
- 四人に通底するのは、事業で得た富を「社会からの預かりもの」とみなし、教育・学術・文化・福祉へ体系的に還す姿勢である。
名を消した寄付者——安田善次郎と「陰徳」の美学
安田財閥の祖・安田善次郎(1838-1921)は、生前一貫して「陰徳」を旨とした。東京帝国大学の大講堂建設に際し、安田は当時の金額で百万円という巨費の寄付を申し出たが、その条件は匿名であった。講堂は1921年に起工され、関東大震災による中断を経て1925年7月に竣工する。しかし安田自身は1921年9月、竣工を見ることなく凶刃に倒れた。大学は故人の遺徳を偲び、講堂に「安田」の名を冠した。匿名を望んだ人物の名が、本人の死によってはじめて建物に刻まれたという逆説が、ここにはある。安田の陰徳はこれにとどまらない。東京市長・後藤新平の都市構想に共鳴して申し出た日比谷公会堂への寄付は、当時の金額で三百五十万円。これもまた匿名が条件であり、公会堂が竣工したのは没後八年を経た1929年10月のことである。
孤児院の門前から始まった——大原孫三郎の目覚め
倉敷紡績の大原孫三郎(1880-1943)の篤志は、一人の社会事業家との出会いに始まる。日本初の本格的な孤児院を営んだ石井十次(1865-1914)である。放蕩の青年期を経た大原は、石井の岡山孤児院の事業に触れて生き方を変え、以後その最大の経済的支援者となった。石井の没後も大原は支援を打ち切らず、1917年には私財を投じて財団法人石井記念愛染園を設立し、大阪の隣保事業として石井の遺志を継いだ。現場に身を投じる事業家と、それを資本で支え続ける実業家。この分業の構図は、今日の助成財団と非営利団体の関係の、いわば原型である。
寄付から「研究への投資」へ——大原孫三郎の方法
大原の独自性は、施しにとどまらず、社会問題の原因そのものを科学の対象としたことにある。1919年に大原社会問題研究所(現・法政大学大原社会問題研究所)を創設し、1921年には倉敷労働科学研究所を設けて、自社工場で働く労働者の疲労や健康を科学的に研究させた。雇い主が自ら労働問題研究に資金を出すという振る舞いは、当時の財界では異端ですらあった。そして1930年、前年に世を去った画家・児島虎次郎を記念して大原美術館を開館する。児島に託して収集させたエル・グレコやモネを擁する、日本で最初の西洋美術中心の私立美術館である。孤児救済、労働科学、社会問題研究、美術館。一見ばらばらに見える事業は、「事業の利益は社会に還すべきものである」という一つの思想の異なる表現であった。
鉄道王の遺したもの——根津嘉一郎と育英の道
東武鉄道を再建し「鉄道王」と呼ばれた初代根津嘉一郎(1860-1940)は、1909年、渋沢栄一率いる渡米実業団に参加し、米国の富豪たちが私財を公共に投じる姿に強い感銘を受けたと伝えられる。「国家の繁栄は育英の道に淵源する」との信念のもと、1922年、日本初の私立七年制高等学校である旧制武蔵高等学校を創立した。財を成した者が学校を建てるという行為は、当時すでに欧米では珍しくなかったが、根津はそれを事業の余技ではなく本業の延長として遂行した。没後の1941年11月には、遺志に基づき、蒐集した古美術を公開する根津美術館が東京・青山に開館している。教育と文化という、回収に一世代を要する領域への投資を、根津は迷わず選んだ。
行動する発起人——広岡浅子と日本女子大学校
大阪の豪商・加島屋を切り盛りした広岡浅子(1849-1919)は、この列伝の中で唯一の女性である。1896年、女子高等教育の必要を説く教育者・成瀬仁蔵の訪問を受け、その著書『女子教育』に深く共鳴した浅子は、自ら創立発起人となって資金を拠出しただけでなく、政財界の有力者を成瀬とともに回り、縁戚の三井家に働きかけて目白台の校地の寄付を実現させた。1901年4月、日本初の女子高等教育機関の一つである日本女子大学校(現・日本女子大学)が開校する。浅子の事績が示すのは、篤志とは金銭の多寡のみで測られるものではない、ということである。信用と人脈を惜しみなく注ぎ込む「行動する寄付者」の存在なくして、この学校は生まれなかった。
系譜は途切れていない
四人の生きた時代には、所得控除も遺贈の制度的優遇もなかった。それでも彼らは、富を「社会からの預かりもの」とみなす感覚を共有し、匿名の寄付、研究所、学校、美術館という形でそれを社会に返した。重要なのは、その多くが個人の善意のまま消えず、財団法人という器を得て現在まで生き続けていることである。大原美術館も根津美術館も法政大学大原社会問題研究所も、今日なお活動を続けている。渋沢栄一という巨木の陰には、こうした森が広がっていた。篤志は日本において例外ではなく、一つの系譜であった。財を成した者がその使い途を考えるとき、参照すべき先例はすでに一世紀前のこの国に、静かに揃っているのである。
- 財団・助成団体データベース——本稿で触れた大原・根津の系譜に連なる財団を含む、国内の助成団体を分野別に検索できる。
- 遺贈寄付ガイド——安田善次郎の没後に竣工した建物群が示すように、遺志を制度として遺す方法を解説する。
- 名を伏せて与える——匿名フィランソロピーの設計——関連論考。
- 効果的利他主義入門——「最も効く寄付」の思想と論争——関連論考。
- エンダウメントの思想——なぜ米国の大学は巨大な基金を持つのか——関連論考。
出典・参照
- 大原美術館「美術館の歴史」(2025年閲覧、ohara.or.jp)
- クラボウ「大原孫三郎人物伝」(2025年閲覧、kurabo.co.jp)
- 法政大学大原社会問題研究所 公式サイト(2025年閲覧、oisr-org.ws.hosei.ac.jp)
- 社会福祉法人石井記念愛染園「石井十次氏(事業創始者)」(2025年閲覧、aizenen.or.jp)
- 東京大学「東大史Q&A Q4-2」(2025年閲覧、u-tokyo.ac.jp)
- 安田不動産「安田めぐり——日比谷公会堂・安田講堂」(2025年閲覧、yasuda-re.co.jp)
- 学校法人根津育英会武蔵学園「武蔵学園のあゆみ」(2025年閲覧、musashigakuen.jp)
- 根津美術館「美術館略年表」(2025年閲覧、nezu-muse.or.jp)
- 日本女子大学「明治の女性実業家 広岡浅子」(2025年閲覧、jwu.ac.jp)
- 大同生命「大同生命の源流——広岡浅子の生涯」(2025年閲覧、kajimaya-asako.daido-life.co.jp)
本稿は公開されている公式資料・大学史・美術館資料等に基づき執筆したものであり、記載の金額はいずれも当時の額面である。歴史的事実の解釈には諸説があり得る。本稿は特定の寄付行為・金融商品・税務判断を勧誘するものではなく、寄付や遺贈の実行に際しては専門家への相談を推奨する。