気候変動への投資や排出量取引が語られる時代にあって、最も古典的な環境フィランソロピーは今も静かに続いている。土地そのものを買い取り、永久に守る——ナショナル・トラストと呼ばれるこの手法は、19世紀末の英国に生まれ、20世紀後半の日本に移植され、いま「企業の森」という形にまで枝を広げた。本稿では、気候ファイナンスの総論とは別に、「買い、守る」保全寄付の系譜と実務を辿る。

この記事の要点
英国ナショナル・トラスト
会員約535万人、保有地約26万ヘクタール、年間収入7億6,620万ポンド(2024/25年次報告)。会費・遺贈・寄付が土地の恒久保有を支える。
知床100平方メートル運動
1977年に北海道斜里町が開始。一口8,000円の寄付をのべ4万9,024人が寄せ、約5億2,000万円で開拓跡地を取得(1997年目標達成、2010年に対象地取得完了)。
The Nature Conservancy
2024会計年度の総収入約18億ドル、うち民間寄付約11億ドル。設立以来、世界で1億エーカーを超える土地の保全に関与してきた世界最大級の環境NGO。
日本の森林の構造問題
森林約2,500万ヘクタールの約6割が私有林で、森林所有者の約9割は保有山林10ヘクタール未満(林野庁『森林・林業白書』)。細分化が手入れ不足の背景にある。
企業の森と緑の募金
企業による森づくり活動は全国1,768か所(2021年度、林野庁)。緑の募金は2023年に中央・地方合計で約20億円(国土緑化推進機構)。

「買い取る」という発明——英国ナショナル・トラストの130年

1895年、英国で一つの法人が設立された。目的は明快である。美しい土地と歴史的建造物を寄付と会費で取得し、国民のために永久に保有すること。ナショナル・トラストと名付けられたこの仕組みの核心は、「開発から守りたいなら、所有してしまえばよい」という発想の転換にあった。規制や請願ではなく、所有権そのものを市民の手に移す。2024/25年次報告によれば、会員は約535万人、保有地は25万9,985ヘクタール、年間収入は過去最高の7億6,620万ポンドに達し、この一年だけで237件・5,549ヘクタールの土地を新たに取得している。特筆すべきは収入構造である。会費と遺贈寄付が経営の柱をなし、一人ひとりの小さな拠出が、国土の一部を恒久的に公共のものとする。フィランソロピーが「所有」という最も強い権利を通じて働く、稀有な実例である。

日本への移植——天神崎と知床

この思想が日本に根を下ろしたのは1970年代である。1974年、和歌山県田辺市の天神崎で別荘地開発計画が持ち上がると、市民が全国募金による土地の買い取り運動を始めた。日本のナショナル・トラスト運動の先駆けとされ、1987年には自然環境保全法人(いわゆるナショナル・トラスト法人)の第1号に認定された。半世紀を経た2024年時点の保全地は約9.5ヘクタール、目標18ヘクタールの53%。運動は今も途上にある。一方、規模で際立つのが北海道斜里町の「しれとこ100平方メートル運動」である。1977年、町は乱開発の懸念があった知床の開拓跡地を守るため、「しれとこで夢を買いませんか」の呼びかけとともに一口8,000円の寄付を募った。1997年3月までにのべ4万9,024人が約5億2,000万円を寄せて目標を達成し、2010年には最後に残った11.92ヘクタールの取得を完了。町有地と合わせ約861ヘクタールが保全された。運動は1997年から「100平方メートル運動の森・トラスト」として第二期に入り、買い取った跡地に森林生態系を再生する事業へと深化している。土地の取得は終点ではなく、百年単位の森づくりの起点だった。

静かに広がるトラストの網

個別の運動を束ねる存在として、1992年に日本ナショナル・トラスト協会(現・公益社団法人)が設立された。同協会によれば、トラスト活動は全国50以上の地域に広がり、市民の寄付等で保全された土地は37都道府県・約1万5,700ヘクタールに及ぶ(2018年時点)。英国の26万ヘクタールと比べれば小さいが、ここには制度の違いも映る。日本では認定NPO法人や公益法人への寄付に税制優遇があり、一定の要件を満たす自然環境保全法人への土地の寄贈には課税上の配慮もあるものの、英国のような包括的なトラスト法制は存在しない。それでも、湿原、里山、海岸林——各地の小さなトラストが、開発の網の目からこぼれる土地を一つずつ拾い上げてきた事実は重い。

海の向こうの巨人——The Nature Conservancy

規模の対極には米国のThe Nature Conservancy(TNC、1951年設立)がある。2024会計年度の総収入は約18億ドル、うち民間寄付が約11億ドルを占め、設立以来、世界で1億エーカー(約4,000万ヘクタール)を超える土地の保全に関与してきた(TNC 2024年次報告)。TNCの手法で注目すべきは、土地を丸ごと買うだけでなく「保全地役権」——所有権は元の地主に残したまま、開発する権利だけを買い取る契約——を多用する点である。すべてを取得するより少ない資金で広い面積を守れる。土地の権利を分解して必要な部分だけを保全する発想は、資金効率を重視する寄付者にとって示唆に富む。

日本の森の現実——細分化と手入れ不足

翻って日本の森を見る。林野庁『森林・林業白書』によれば、国土の約3分の2にあたる約2,500万ヘクタールが森林で、うち約1,000万ヘクタールが人の手で植えられた人工林である。問題は所有構造にある。森林の約6割は私有林だが、森林所有者の約9割は保有山林10ヘクタール未満の小規模所有であり、採算の合わない山は間伐されず放置される。所有者の特定すら難しい森林も少なくなく、2019年に始まった森林経営管理制度は、管理できない私有林を市町村が仲介して担い手につなぐ仕組みである。つまり日本の森の課題は「開発から買って守る」だけでは済まない。「誰も手入れしない森を、誰が引き受けるか」という、より地味で構造的な問いなのである。保全フィランソロピーの出番は、実はここにある。

企業の森と緑の募金——法人による保全の現在

その問いに対する法人側の応答が「企業の森」である。企業が森林所有者や自治体と協定を結び、社員の労力と資金で森林整備を担うこの活動は、林野庁の調査で2021年度に全国1,768か所を数え、増加傾向にある。また『緑の募金による森林整備等の推進に関する法律』(1995年)に基づく緑の募金は、国土緑化推進機構と都道府県の緑化推進委員会が実施主体となり、2023年には中央・地方合計で約20億円が寄せられた。中央募金を支援した企業は247社に上る。一社あたりの金額は決して大きくないが、森林整備・環境教育・災害復旧緑化へと使途が制度的に定められた、息の長い資金である。近年は企業版ふるさと納税やJ-クレジット制度を組み合わせ、森林整備を脱炭素経営に接続する動きも出てきた。

森に寄付するという遺し方

個人の資産家にとって、森への寄付には独特の手触りがある。株式や現金と違い、土地は消費されない。知床の一口8,000円が半世紀後に861ヘクタールの森として立っているように、保全寄付は時間を味方につける。実務上の要点は三つある。第一に、取得費だけでなく管理費を見ること。森は買った後にこそ費用がかかり、基金型の寄付が歓迎される。第二に、寄付先の法人格と税制を確かめること。認定NPO法人や公益法人であれば寄付金控除の対象となり、山林そのものの寄贈や遺贈には譲渡所得の非課税特例(租税特別措置法40条)の適用可能性がある。第三に、遺贈との相性である。英国ナショナル・トラストの財政を支えるのは遺贈であり、日本でも山林や別荘地を保全団体に遺す選択は現実的になりつつある。森を守る寄付とは、百年後の風景に自分の名を残さずに関与する行為である。その静けさこそが、この分野の品位なのだと思う。

出典・参照

  • National Trust "Annual Report 2024/25"(会員数535万人、保有地25万9,985ヘクタール、収入7億6,620万ポンド、2025年公表、nationaltrust.org.uk)
  • しれとこ100平方メートル運動 公式サイト「運動の歴史」(1977年開始、のべ4万9,024人・約5億2,000万円、2010年取得完了、100m2.shiretoko.or.jp)
  • 北海道斜里町「しれとこ100平方メートル運動」(保全面積約861ヘクタール、town.shari.hokkaido.jp)
  • 紀伊民報AGARA「目標面積の5割超す 天神崎の自然を大切にする会」(2024年、保全地約9.5ヘクタール、agara.co.jp)
  • 公益社団法人日本ナショナル・トラスト協会「協会の紹介」(1992年設立、全国50以上の地域・約1万5,700ヘクタール〔2018年時点〕、ntrust.or.jp)
  • The Nature Conservancy "2024 Annual Report" および FY24連結監査済財務諸表(総収入約18億ドル・民間寄付約11億ドル、nature.org)
  • 林野庁『森林・林業白書』(森林面積約2,500万ヘクタール、私有林約6割、所有者の約9割が10ヘクタール未満、企業による森づくり活動1,768か所〔2021年度〕、rinya.maff.go.jp)
  • 公益社団法人国土緑化推進機構「数字で見る緑の募金」(2023年・約20億円、支援企業247社、green.or.jp)

本稿は公開情報に基づく一般的な解説であり、特定の団体への寄付の勧誘や、税務・法務上の助言を行うものではありません。数値は各出典の公表時点のものです。寄付や遺贈の実行にあたっては、税理士・弁護士等の専門家にご相談ください。