口座を開いたことは覚えている。けれど、いつのまにか使わなくなった。引っ越し、転職、家族の変化——そうした理由で、日本には10年以上まったく動かない預金が毎年生まれ続けている。その額は年におよそ1,300億円から1,600億円。持ち主の記憶から抜け落ちたこれらの「眠るお金」は、かつては銀行の利益に組み入れられていた。いまは違う。2018年に施行された休眠預金等活用法によって、その一部は預金保険機構を経て民間の公益活動へと流れ、子ども、生活困窮、地域という三つの領域で社会課題の解決に充てられる。眠っていたお金が、静かに動きはじめる。その道筋をたどってみたい。
- 休眠預金とは
- 10年以上、入出金等の取引がない預金等のこと。毎年1,300〜1,600億円規模が発生し、預金保険機構へ移管される(2023年度の発生額は約1,609億円)。
- 資金の流れ
- 金融機関→預金保険機構→指定活用団体JANPIA→資金分配団体→実行団体(現場のNPO等)という多層構造で届けられる。
- 助成の規模
- 2019年度の開始以降、助成の総額は約354億円に達する(2025年4月末時点、通常枠・緊急枠の合計)。
- 2023年の改正
- 法施行5年後の見直しで「活動支援団体」と「出資」が創設され、助成一辺倒だった支援手法が広がった。
- 預金者の権利
- 移管後も、預金者はいつでも元の金融機関の窓口で払戻しを請求できる。お金は「消える」わけではない。
眠る預金という問題
休眠預金等とは、内閣府の定義によれば「10年以上、入出金等の取引がない預金等」を指す。普通預金、定期預金、貯金など、その範囲は広い。人が亡くなって相続の手続きから漏れる。転居して通帳の存在を忘れる。少額のまま放置される。理由はさまざまだが、結果として、持ち主とのつながりを失った資金が金融機関のなかに滞留していく。預金保険機構および内閣府の資料によれば、こうした休眠預金は毎年1,300億円から1,600億円ほど発生しており、2023年度に預金保険機構へ移管された金額は約1,609億円にのぼった。決して小さな額ではない。かつてはこの資金が金融機関の収益として処理されていたが、「眠っているのなら、公益のために生かせないか」という発想が、制度化への出発点となった。
休眠預金等活用法という設計
2016年に議員立法として成立し、2018年1月に施行されたのが「民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律」——通称、休眠預金等活用法である。この法律の核心は、行政では対応が難しい社会課題を、民間の創意工夫によって解決するために、休眠預金を財源として充てるという点にある。対象となる活動分野は、法律上、三つに整理されている。子どもや若者への支援、生活を営む上で困難を有する者への支援、そして地域活性化への支援である。国が直接手を出しにくい隙間の課題に、民間の団体が挑む。その挑戦を支える原資として、眠っていた預金が使われる。ここで重要なのは、休眠預金が国庫に入るのではなく、あくまで民間の公益活動へと向かうよう設計されている点だ。お金の「出口」を民間に定めたことに、この制度の思想が表れている。
お金はどこを通るのか——四つの層
眠っていた預金が現場に届くまでには、いくつもの層を通過する。まず、各金融機関に滞留した休眠預金は、預金保険機構へ移管される。次に、そこから毎年度、必要な額が「指定活用団体」へ交付される。指定活用団体は法律に基づいて一つだけ選ばれる存在で、2018年に一般財団法人日本民間公益活動連携機構——JANPIA(ジャンピア)——が指定された。JANPIAは自ら現場に資金を配るのではない。特定の社会課題分野や地域の実情に精通した「資金分配団体」を公募で選び、そこへ資金を託す。資金分配団体は、さらに公募によって「実行団体」を選ぶ。実行団体とは、休眠預金を使って実際に事業を行い、社会課題の解決に取り組む現場のNPOや団体である。金融機関、預金保険機構、JANPIA、資金分配団体、実行団体——このバトンリレーのような構造によって、持ち主を失った預金は、就労に悩む若者への伴走や、農業の担い手育成を通じた地域づくりといった、具体的な現場の活動へと姿を変えていく。なお預金者は、移管後もいつでも元の金融機関の窓口で払戻しを申請できる。休眠預金は消えるのではなく、預けられているだけである。
これまでの規模——約354億円が動いた
制度が実際に動きはじめたのは2019年度で、資金分配団体への助成が開始された。助成には二つの枠がある。民間の創意工夫を引き出すため、最長3年という複数年で腰を据えて取り組む「通常枠」。そして、災害など緊急に生じる支援ニーズに、最長1年で機動的に応える「緊急枠」である。内閣府の集計によれば、この助成の総額は、通常枠と緊急枠を合わせて約354億円に達している(2025年4月末時点)。資金分配団体はこれまでに延べ342団体が選定され、227の事業が実施されてきた。1事業あたりの助成予定額は平均で1.52億円。その先の実行団体は、これまでに1,368団体が選ばれており、1事業あたりの助成予定額は平均で1,573万円となっている。数字を並べると無機質に見えるが、これは1,300を超える現場の取り組みが、眠っていた預金を原資に立ち上がったということでもある。年間1,600億円規模の発生額と比べれば、実際に活用された額はまだ一部にすぎない。制度は、走りながら規模を積み上げている段階にある。
2023年の改正——助成から「出資」へ
施行から5年が経過したタイミングで、制度は見直しの機会を迎えた。2023年、休眠預金等活用法が改正され、二つの新しい支援手法が創設された。一つは「活動支援団体」である。これまでの経験から、資金を配るだけでなく、専門的な知識やノウハウを共有する非資金的な支援——伴走——が、とりわけ草創期の団体を育て、その後の自立につながることが分かってきた。そこで、お金以外の支援を専門に担う団体を、あらたに制度のなかに位置づけたのである。もう一つが「出資」だ。社会課題の解決と経済的な成長の両方を追う社会的起業家が増えるなか、返す必要のない助成だけでは、株式会社形態のスタートアップなどの資金需要に応えきれない。そこで、助成に加えて、出資という形での資金供給が解禁された。出資事業では、ファンドや株式会社を資金分配団体としてJANPIAが選定し、その資金分配団体が民間資金と組み合わせて実行団体(株式会社)へ出資する。JANPIAの発表によれば、あらたに導入されたこの出資事業では、2023年度に2つの資金分配団体(いずれもファンド型)が、計8億円の出資予定額で選定された。眠っていた預金が、返済不要の贈与だけでなく、民間資金を呼び込む「呼び水」としても使われはじめたことになる。
成果と課題——スピードとガバナンスのあいだ
3年という事業期間を設けた通常枠では、完了した事業が200件を超え、多くの実践的な知見が蓄積されつつある。社会的インパクト評価——事前に達成すべき成果を明示し、その達成度合いを重視する評価手法——を制度全体に組み込んだ点も、日本の助成の文化にとって一つの前進だといえる。一方で、課題も指摘されてきた。第一に、スピードである。国民の資産に由来する公的性格の強い資金だけに、公募・審査・報告の手続きは厳格で、書類の負担は重い。小さな現場の団体にとって、その事務コストは無視できない。第二に、ガバナンスと透明性である。多層構造は専門性を活かす利点を持つ反面、資金がいくつもの団体を経由するぶん、お金の流れと成果を外から見えにくくするリスクをはらむ。厳格さと機動性、説明責任と現場の柔軟性——この二つの緊張のあいだで、制度は最適なバランスを探り続けている。出資という新しい手法は、成果が金銭的リターンとしても現れうるだけに、その運用と説明のあり方が、これからの制度の成熟を占う試金石になるだろう。
民間フィランソロピーとの関係
休眠預金は、公的な性格を帯びた資金である。国民一人ひとりの預金に由来し、法律に基づいて配分される以上、その使途には高い公共性と説明責任が求められる。これは、個人や企業が自らの意思で資金を託す民間の寄付や財団——本来の意味でのフィランソロピー——とは、出自を異にする。しかし両者は対立するものではなく、むしろ補い合う関係にある。休眠預金の助成や出資は、まだ実績の乏しい草創期の団体に最初の資金を供給し、その活動を軌道に乗せる。そこで育った団体が成果を示せば、民間の寄付や社会的投資がその先を支えていく——そうした「呼び水」としての役割こそ、この制度が期待されている核心である。資産を持つ個人にとっても、休眠預金が耕した領域は、次の寄付先を探すうえでの手がかりになる。どの分野に、どのような担い手が育っているのか。制度が積み上げた227事業、1,368の実行団体という蓄積は、民間フィランソロピーが自らの資金を最も効果的に届けるための、いわば公共の地図でもある。眠っていたお金が切り拓いた道の先を、意思あるお金がさらに進めていく。その連なりのなかに、これからの日本のフィランソロピーの一つの姿が見えてくる。
出典・参照
- 内閣府「休眠預金等活用制度について」(制度の全体像・活用実績・改正法による新たな支援手法。助成総額約354億円、資金分配団体延べ342団体・227事業、実行団体1,368団体、2025年4月末時点)
- 内閣府「休眠預金等の活用に関するQ&A」(休眠預金の定義・年間発生額の水準)
- 預金保険機構「休眠預金等移管金の納付の状況等について」「令和5年度中の休眠預金等移管金の納付の状況等について」(2023年度の移管額)
- 一般財団法人日本民間公益活動連携機構(JANPIA)「休眠預金等活用法に基づく出資事業の資金分配団体を選定」(2023年度出資事業・2団体・計8億円)ほか公募結果・現況データ集
- 民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律(2016年成立、2018年施行、2023年改正)
本稿は制度の概要を一次資料に基づき一般的に解説するもので、個別の助成・出資の採否や税務・法務上の判断を保証するものではない。制度・要件・数値は改正や年度更新により変わる場合がある。最新の情報は内閣府・JANPIA・預金保険機構の公表資料を確認されたい。