秋になると、駅前やスーパーの入口に赤い羽根が並ぶ。募金箱に硬貨を落とし、胸に羽根をつける——その所作は、日本の戦後福祉が歩んだ道のりと、静かに結びついている。赤い羽根共同募金は1947年(昭和22年)に始まり、2023年で76回を数えた。国民一人ひとりの小さな善意を束ね、それを地域の福祉へと還してきた、世界的にも珍しく長く続く「たすけあい」の仕組みである。だが近年、その募金額は長期的に細り続けている。本稿では、共同募金の来歴と制度、そして現在地を、出典と年次に基づいてたどりたい。

この記事の要点
始まり
1947年に「国民たすけあい運動」として発足。米国のコミュニティ・チェストを参考にした。
法的位置づけ
社会福祉法第112条に定義され、第113条により第一種社会福祉事業とされる。
地域循環
集まった募金の約7割は、寄付された地域の福祉活動に還元される。
募金額の推移
1995年度の約266億円をピークに減少が続き、2023年度は約160.7億円。
現在の課題
自治会・町内会の加入率低下、担い手不足、募金への共感の希薄化。

戦後の焼け跡から——なぜ「民間の募金」だったのか

共同募金は、第二次世界大戦後の混乱のただ中で生まれた。戦災で打撃を受けた民間の社会福祉施設は、運営資金の枯渇に苦しんでいた。ところが日本国憲法第89条は、公の支配に属しない慈善・博愛の事業に公金を支出することを禁じている。国が民間福祉施設へ直接補助することが難しくなったのである。

そこで参照されたのが、当時の米国で広く行われていた「コミュニティ・チェスト(Community Chest)」だった。地域社会が自らの手で資金を募り、必要とする福祉団体へ配分するこの仕組みを手本に、1947年、共同募金運動が「国民たすけあい運動」として始まった。初年度の運動では全国で約6億円が集まったとされ、焼け跡の日本にとって、それは決して小さくない額であった。行政の手が届かない場所を、市民の善意で埋める——その発想が、共同募金の出発点にある。

「赤い羽根」はなぜ赤い羽根なのか

今では募金の代名詞となった赤い羽根だが、初年度から使われていたわけではない。1947年の発足時、寄付者に配られたのは赤いブリキのバッジだった。ところがこれが男性たちに不評で、翌1948年の第2回運動から、羽根へと切り替えられた。参考にした米国のコミュニティ・チェストで、水鳥の羽を赤く染めたものを配っていたことにならったものである。

赤という色には、勇気や善意、博愛の象徴という意味が込められている。胸につけた一枚の羽根は「私も参加した」という静かな連帯のしるしであり、同時に、募金運動そのものを可視化する広報装置でもあった。羽根が街にあふれる季節がめぐってくること自体が、たすけあいの呼びかけになっていた。

社会福祉法に刻まれた定義

共同募金は、単なる慈善の呼びかけではなく、法律にその根拠を持つ制度である。社会福祉法第112条は共同募金を、「都道府県の区域を単位として、毎年一回、厚生労働大臣の定める期間内に限つてあまねく行う寄附金の募集」であり、その寄付金を区域内の社会福祉事業などに配分することを目的とするもの、と定義している。運動期間は厚生労働大臣の告示により、毎年10月1日から翌年3月31日までの6か月間と定められている。

興味深いのは、その事業区分である。社会福祉法第113条第1項は、「共同募金を行う事業は、第二条の規定にかかわらず、第一種社会福祉事業とする」と定める。第一種社会福祉事業は、利用者への影響が大きく、経営の安定と公正が特に求められる事業類型である。特別養護老人ホームや児童養護施設などと同じ枠に、募金という行為が置かれている——ここに、共同募金が担う公共的な重みが表れている。

お金はどこへ還るのか——地域配分の仕組み

共同募金の実施主体は、各都道府県に設立された都道府県共同募金会である。全国を束ねる中央共同募金会が全体の調整を担うが、募金の企画も配分も、基本は都道府県単位で行われる。それぞれの共同募金会には、助成先を決める「配分委員会」が市民参加のかたちで設けられ、どの団体にいくら配るかが審議される。

配分の骨格は、地域への還元にある。集まった募金の約7割は、寄付が寄せられたその地域で使われる。市区町村の社会福祉協議会や、地域の福祉団体、ボランティアグループの活動費として還っていく。残る約3割は、市区町村を越えた広域の活動や、災害時への備えなどに充てられる。自分が入れた硬貨が、遠い誰かではなく、同じ町の高齢者サロンや子どもの居場所を支えている——この「地域循環」の実感こそが、共同募金の設計思想の核にある。

12月には、共同募金運動とあわせて「歳末たすけあい募金」も実施される。市町村単位で行う「地域歳末たすけあい」と「NHK歳末たすけあい」があり、年末の見舞金や、翌年度の地域福祉サービスの原資として使われる。年の瀬に困難を抱える人へ、地域から手を差し伸べる仕組みである。

災害と共同募金——義援金と支援金のあいだ

大きな災害が起きるたび、共同募金会は被災地支援の窓口となってきた。ここで重要なのは、性格の異なる二つの資金があることだ。ひとつは「義援金」。これは被災した方々へ、配分委員会を通じて全額が見舞金として直接届けられる。都道府県共同募金会が受け付け、複数県にまたがる場合などは中央共同募金会が調整する。

もうひとつが、災害ボランティアやNPOの活動を支える「支援金」である。中央共同募金会が運営する「災害ボランティア・NPO活動サポート募金(ボラサポ)」がその代表で、被災地で救援・復興にあたる団体へ助成される。2011年の東日本大震災に際しては、ボラサポに44億円を超える寄付が寄せられ、1万件近い活動を支えたとされる。被災者への直接給付にとどまらず、支援する人々を支えるという発想が、ここには通底している。共同募金が積み上げてきた地域のネットワークが、非常時に生きる場面である。

細っていく善意——数字が語る現在地

制度としての完成度に対して、募金額の推移は厳しい現実を映している。共同募金の総額は、1995年度の約265億7935万円をピークに、以後ほぼ一貫して減少してきた。2019年度は約173億6569万円まで下がり、2023年度(令和5年度)の募金実績は約160.7億円、前年比4.3%減となった。四半世紀余りで、総額はおよそ4割を失ったことになる。

背景には、いくつもの要因が重なっている。ひとつは、募金を支えてきた地域組織の弱体化である。過疎化と高齢化が進むなかで、自治会・町内会の結成率や加入率が下がり、戸別募金を担う人手そのものが減っている。もうひとつは、集金手法への違和感だ。半ば割り当てのように配られる募金への反感や、集めた資金の配分先・配分額が見えにくいという不透明さへの指摘は、以前から繰り返されてきた。加えて、寄付の選択肢が多様化し、クラウドファンディングや使途を指定できる寄付が広がるなかで、「顔の見えない一括募金」に共感を寄せる人が減っているという構造的な変化もある。

たすけあいの現在地と、これから

それでも共同募金が持つ強みは、色あせていない。都道府県ごとに配分委員会を通じて使途を決める透明化の努力、寄付テーマや助成先を選べる仕組みの導入、企業や個人が特定の課題に指定して寄付できる回路の整備——制度は少しずつ、時代の要請に応えようと形を変えてきた。「あまねく集め、あまねく地域に還す」という原理は、寄付が個人化していく時代にあってなお、地域全体を面で支える数少ない装置である。

76年という歳月は、ひとつの募金運動としては異例の長さだ。街頭で羽根を配る光景は、戦後日本が「行政だけでは支えきれないものを、市民が自らの手で支える」と決めたことの、いまも続く痕跡である。募金額の曲線は右肩下がりを続けている。だが、たすけあいをどう次の世代へ手渡すかという問いは、赤い羽根だけの課題ではなく、寄付という営み全体に投げかけられた問いでもある。胸につける一枚の羽根の重さを、もう一度考えてみる価値はあるだろう。

出典・参照

  • 赤い羽根共同募金「歴史」「しくみ」「地域歳末たすけあい」「赤い羽根の災害・被災地支援」中央共同募金会(akaihane.or.jp、2026年7月閲覧)
  • 中央共同募金会「令和5年度 事業報告書」ほか年次報告書(akaihane.or.jp)
  • 厚生労働省「共同募金について」社会・援護局総務課 資料(mhlw.go.jp)
  • 社会福祉法 第112条・第113条(e-Gov法令検索、laws.e-gov.go.jp)
  • 厚生労働省 第30回社会保障審議会福祉部会「共同募金事業の在り方について」資料(2025年10月、mhlw.go.jp)
  • 「共同募金」Wikipedia日本語版(募金額の推移・沿革の参照として、2026年7月閲覧)

本記事は公開情報に基づく解説であり、募金への参加や寄付を勧誘するものではありません。数値・年次は執筆時点で確認できた資料に基づきますが、年度により更新される場合があります。最新の情報は各共同募金会の公式発表をご確認ください。