財団法人を設立するほどの規模ではない。しかし、名を冠した基金を遺し、自らの想いを長く社会に働かせたい——そう考える資産家にとって、公益信託は長らく「知られざる器」であった。2026年4月、この制度は約百年ぶりの全部改正を経て再起動した。財団をつくらずに「基金」を遺す方法として、新しい公益信託の設計を読み解く。
- 新法の施行
- 「公益信託に関する法律」(令和6年法律第30号)は2024年5月14日成立、2026年4月1日施行。1922年(大正11年)制定の「公益信託ニ関スル法律」を約百年ぶりに全部改正した。
- 認可の一元化
- 主務官庁による許可・監督制を廃止し、公益法人と共通の行政庁(内閣総理大臣または都道府県知事)が合議制機関の意見に基づき認可・監督する仕組みへ移行した。
- 担い手と財産の拡大
- 受託者は信託会社中心から公益法人・NPO法人等へ拡大。信託財産も金銭中心から不動産・美術品等へ広がり、助成以外の公益活動も可能になった。
- 縮小していた旧制度
- 受託件数は2003年3月末の572件をピークに減少し、2025年3月末は372件・信託財産残高520億円。2024年度の新規受託はわずか1件だった(信託協会)。
- 財団との違い
- 公益財団法人は300万円以上の財産拠出と最低7名の機関構成を要する。公益信託は法人格を持たず機関運営が不要で、元本を取り崩す有期の基金設計に適する。
百年前に生まれ、半世紀眠っていた制度
公益信託の法的な起源は古い。1922年(大正11年)、信託法とともに「公益信託ニ関スル法律」が制定され、委託者が財産を受託者に託し、学術・技芸・慈善などの公益目的のために管理・運用させる仕組みが用意された。だがこの器は、制定から半世紀ものあいだ一度も使われなかった。第1号の公益信託が誕生したのは1977年(昭和52年)である。以後、奨学金の支給、自然科学・人文科学研究への助成、国際協力、まちづくりなど、比較的小規模な助成型の基金として着実に利用が広がった。委託者の多くは、財団を設立するほどの規模も体制も持たないが、確かな公益の意思を持つ個人と企業であった。
統計が示す長い退潮
信託協会の統計によれば、公益信託の受託件数は2003年(平成15年)3月末の572件をピークに一貫して減少し、2025年(令和7年)3月末には372件、信託財産残高は520億円となった。残高もピーク時には約737億円に達していたから、件数・残高ともにピークから3割以上縮んだ計算になる。象徴的なのは新規設定の細りである。2024年度中の新規受託は全国でわずか1件、受託額0.3億円にとどまった。一方で、1977年の第1号以降の累計では助成先約24.5万件、給付総額1,051億円にのぼり、目的別では奨学金支給が120件(受託額204億円)、自然科学研究助成が61件、教育振興が47件と続く。小さな基金が確かに社会を潤してきた実績と、制度としての行き詰まり。この二つが併存していたのが改正前の風景である。退潮の一因は制度の古さにあった。事業分野ごとに主務官庁の許可と監督を要する縦割りの仕組みは、2008年に主務官庁制を捨てた公益法人制度と比べても明らかに時代遅れとなっていた。
2024年改正——主務官庁制の廃止と公益法人制度への一元化
この隘路を断つべく、「公益信託ニ関スル法律」を全部改正する「公益信託に関する法律」が2024年(令和6年)5月14日に成立、5月22日に公布された。施行令等は2025年6月30日に公布され、新制度は2026年(令和8年)4月1日に施行された。本稿執筆時点で、施行から3か月余りが経過したことになる。
改正の第一の柱は、主務官庁制の廃止である。新法の下では、公益信託は行政庁——内閣総理大臣または都道府県知事——の認可を受けなければ効力を生じない。認可は公益認定等委員会または都道府県の合議制機関の意見に基づいて行われ、認可基準・監督の枠組みは公益法人認定法と整合的に設計された。ばらばらだった申請・相談窓口は一元化され、報告徴求・検査・勧告・命令・認可取消しといった監督規定も公益法人と同等に整備された。あわせて、受託者を監督する信託管理人の必置、公益法人と整合した財務規律、終了時の残余財産を類似の公益目的に帰属させる定め、財産目録等の備置き・公表義務など、ガバナンスと透明性の要求も法定された。公益信託は、公益法人制度と同じ土俵に立つ「もう一つの公益の器」として再定義されたのである。
受託者と信託財産の拡大——信託銀行の独占が終わる
第二の柱は担い手の拡大である。旧制度の下で受託者は事実上、信託銀行にほぼ限られていた。新制度では、信託会社に加えて公益法人やNPO法人等が、社会的課題解決の現場のノウハウを生かして受託者となることができる。奨学金基金を大学関連の公益法人が受託する、地域基金をコミュニティ財団が受託するといった組み合わせが、制度上可能になった。
第三の柱は信託財産と信託事務の拡大である。旧制度では実務上、信託財産は金銭が中心であった。新制度では不動産や美術品等を信託財産とすることができ、信託事務も助成金の給付にとどまらず、公益的な事業の実施へと広がった。所蔵美術品を信託して公開する、収益不動産を信託してその果実を助成に充てる——財団を設立しなければ難しかった設計が、信託という器でも描けるようになったのである。税制も追いついた。令和6年度税制改正で、認可を受けた公益信託への寄付には寄附金控除や譲渡所得非課税の特例など公益法人と概ね同様の優遇が措置され、令和7年度改正で承認特例の対象追加等の残された部分が手当てされた。
財団か、公益信託か——二つの器の比較
では、財団設立を検討する資産家にとって、公益信託はどう位置づくか。公益財団法人への道は、まず一般財団法人の設立から始まる。300万円以上の財産拠出、評議員3名以上・理事3名以上・監事1名以上——兼任は許されず最低7名の人的構成——を整え、定款認証(手数料約5万円)と設立登記(登録免許税6万円)を経て、さらに公益認定を受ける。法人格を持ち、自ら事業を営み、理事会の意思で機動的に動ける反面、評議員会・理事会の運営、人材の確保、事務局の維持という負担が永続する。実務上、財団が持続的に機能するには相応の規模の基本財産が求められるのが通例である。
公益信託は対照的である。法人格を持たず、事務は受託者が担うため、委託者の側に機関を置く必要がない。信託財産の元本を計画的に取り崩して給付に充てる設計が可能であり、数千万円規模の資金でも、10年、20年と期間を定めて使い切る「有期の基金」として合理的に機能する。認可基準やガバナンスの要求水準は公益法人と整合的だが、器を維持する構造的なコストが軽い。永続する組織を遺したいなら財団、想いと資金を確実に使い切らせたいなら公益信託——選択の軸はここにある。設計にあたっては専門家への相談を通じ、規模・期間・後継者の有無を突き合わせて判断したい。
遺言で「基金」を遺すという設計
新法は、公益信託が契約または遺言によって設定されることを正面から予定している。遺言者が信託の目的と財産を遺言に定め、死後に受託者が引き受け、行政庁の認可を得て基金が立ち上がる——財団を遺言で設立する方法(遺言による一般財団法人の設立)に比べ、機関の人選や定款の作り込みが不要な分、設計は簡素である。税制上も、相続人が相続財産を公益信託の信託財産とするために支出した場合の相続税非課税など、遺贈寄付と整合的な特例が用意されている。
ただし実務の要諦は生前の準備にある。遺言に書けば自動的に基金が生まれるわけではなく、引き受ける受託者の存在と、認可基準を満たす信託行為の設計が前提となる。受託者候補との事前協議、信託管理人の人選、遺言執行者との役割分担、認可が得られない場合の予備的条項——これらを遺言作成の段階で固めておくことが、想いを確実に着地させる条件である。
結び——名を冠した基金の再起動
公益信託は、半世紀眠り、四半世紀かけて咲き、そして二十年あまり静かに萎んでいった制度である。2026年の再起動が実を結ぶかどうかは、これからの数年で試される。だが少なくとも、財団という重い器を持たずに、名を冠した基金を遺す途が、かつてなく整えられたことは確かである。想いの規模に合った器を選ぶこと。それが、この静かな制度改正が資産家に投げかけている問いである。
- 財団・助成団体データベース——国内の財団・助成団体の財務規模や助成分野を横断検索できる。財団設立と公益信託を比較検討する際の相場観の把握に。
- 遺贈寄付ガイド——遺言による寄付の基本設計、税制優遇、遺言執行の実務をまとめたガイド。遺言による公益信託設定の前提知識として。
- 動物福祉への寄付——殺処分ゼロと、その先の設計——関連論考。
- 芸術文化への寄付——アーツカウンシルと「アームズ・レングス」の思想——関連論考。
- 遺贈寄付の現在地——人生の最後に、意志を手渡す——関連論考。
出典・参照
- 一般社団法人信託協会「公益信託の受託状況(令和7年3月末現在)」2025年7月22日 shintaku-kyokai.or.jp(受託件数372件・残高520億円、ピーク572件、2024年度新規1件・0.3億円、累計助成先約24.5万件・給付額1,051億円、目的別内訳、制度沿革・改正経緯)
- 内閣府「新公益信託制度が令和8年4月から始まります」2026年3月5日 cao.go.jp(契約・遺言による設定、担い手・信託財産の拡大、認可・監督の一元化)
- e-Gov法令検索「公益信託ニ関スル法律」(大正11年法律第62号) laws.e-gov.go.jp
- e-Gov法令検索「公益信託に関する法律」(令和6年法律第30号) laws.e-gov.go.jp
- 財務省「令和6年度税制改正の解説」新たな公益信託制度の創設に伴う所得税法等の整備 mof.go.jp
- 国税庁 タックスアンサーNo.4141「相続財産を公益法人などに寄附したとき」 nta.go.jp
- 法務省「一般社団法人及び一般財団法人制度Q&A」 moj.go.jp(300万円以上の財産拠出、評議員・理事・監事の構成)
本稿は一般的な情報提供を目的とするものであり、特定の法務・税務上の助言を構成するものではない。制度・税制は今後改正される可能性があるため、実行にあたっては最新の法令・通達を確認のうえ、弁護士・税理士等の専門家に相談されたい。