日本の富は、静かに高齢化している。個人が持つ金融資産はおよそ2000兆円に達し、その過半が60歳以上の世帯の手にある。そして人が老い、世を去るたびに、資産は次の世代へと移されていく。相続で世代を越える金額は、いまや年間およそ50兆円と試算される。この巨大な資金の流れの、ごく一部が、近年あたらしい向きを持ちはじめた。相続人ではなく、社会そのものへ——遺贈寄付である。高齢化率29.3%(内閣府、2024年)の国で、意思あるシニアマネーはどこへ向かうのか。数字と出典をたどりながら、静かに考えてみたい。
- 富の高齢化
- 個人金融資産は2021年末に初めて2000兆円を突破。世帯主が60歳以上の世帯が金融資産の6割超を保有し、その構成比は約30年で倍近くに高まった(内閣府・日本銀行資金循環統計ほか)。
- 相続で移る資産
- 相続で次世代へ移転する金額は年間およそ50兆円規模と試算され、多死社会の進行とともに2040年には約51兆円へ拡大する見込み(野村資本市場研究所)。
- シニアの寄付行動
- 年代が上がるほど寄付者率・平均寄付額はおおむね高まる。60代・70代は寄付の担い手の中核であり、60代の平均寄付額は約1.8万円(日本ファンドレイジング協会「寄付白書2021」)。
- 遺贈という意思
- 40歳以上のおよそ2割が「遺産の一部を寄付してもよい」と考える一方、遺言書を「すでに作成済み」の人は約3%にとどまる。意思と実行のあいだに大きな隔たりがある(寄付白書2015ほか)。
- 凍結と国庫帰属
- 認知症の人が持つ金融資産は2030年度に215兆円へ達すると試算され、「資産凍結」が課題に。相続人不在で国庫に帰属した遺産は2023年度に初めて1000億円を超えた(第一生命経済研究所、日本経済新聞・法務省統計)。
富はどこに偏っているのか
まず、資産の分布から見よう。日本銀行の資金循環統計によれば、家計が持つ金融資産の残高は2021年末に初めて2000兆円の大台を超えた。問題はその年齢分布である。総務省の全国家計構造調査などをもとにした分析では、世帯主が60歳以上の世帯が家計金融資産の6割を上回る割合を保有しているとされる。この構成比は約30年前の1989年におよそ3割だったから、この間に倍近くへと高まった計算になる。
理由は単純ではないが、輪郭は見える。長寿化によって高齢期そのものが長くなり、退職金や年金、そして自らが働き蓄えてきた資産が、消費されきらずに高齢世帯に積み上がっていく。現役世代は住宅ローンや教育費で資産を取り崩し、負債が貯蓄を上回る局面も長い。結果として、日本の富は「使う速さより貯まる速さが上回る」高齢層のもとに、静かに滞留している。これは経済の停滞という一面を持つと同時に、社会へ還元されうる巨大な原資が、そこにあるということでもある。
相続という、世代を越える50兆円
滞留した資産は、いつか必ず動く。人が世を去るとき、相続という形で次の世代へ移されるからだ。野村資本市場研究所の試算では、相続によって移転する金額は現在おおむね年間50兆円規模にのぼる。同研究所の別の推計では、足元の約46兆円から2035年に約50兆円、2040年には約51兆円へと拡大する見通しとされる。年間の死亡数が増え続ける「多死社会」の進行が、この流れをさらに太くしていく。
ただし、この移転には偏りがともなう。相続で資産を受け取る側の多くは、すでに人生の後半にさしかかった50代・60代である。つまり富は高齢層から高齢層へと横滑りし、若い世代や社会へは容易には流れ出ない。この「動くのに、行き先が変わらない」構造こそ、シニアマネーをめぐる論点の核心にある。50兆円という奔流の、ほんのわずかでも向きが変われば、社会に及ぼす影響は決して小さくない。
シニアは、どう寄付しているか
では、その担い手であるシニアは、いまどのように寄付しているのか。日本ファンドレイジング協会の「寄付白書2021」によれば、2020年の個人寄付総額は1兆2126億円と、東日本大震災以降で初めて1兆円を超えた。寄付者率は44.1%、寄付をした人は推計約4352万人にのぼる。
年代別に見ると、傾向ははっきりしている。おおむね年齢が上がるほど寄付者率も平均寄付額も高まり、60代・70代は寄付の担い手の中核をなす。同白書では60代の平均寄付額は約1万7957円と、若年層を上回る水準にある。時間的にも経済的にもゆとりを持ち、地域や社会とのつながりを長く積み重ねてきた世代が、寄付という行為の底を支えている。もっとも、ふるさと納税の普及がこの数字を押し上げている面もあり、返礼を伴う制度的寄付と、純粋な社会貢献としての寄付は、本来分けて考える必要がある。それでもなお、シニア層が寄付の主役であるという構図は動かない。
終活と社会貢献——遺贈という選択
寄付は、生きているあいだの行為にとどまらない。人生の締めくくりに、自らの資産の一部を社会へ託す——遺贈寄付という選択が、静かに広がりつつある。背景には、いわゆる「終活」の一般化がある。自らの死後を主体的に考え、財産の行き先を自分で決めたいと願う人が増えた。子や孫のいない人、あるいは相続人に十分に遺したうえでなお社会に還したいと願う人にとって、遺贈は自らの価値観を未来に残す手段となる。
意思は、確かに存在する。「寄付白書2015」の調査では、40歳以上で遺産のどこかへの寄付意思を持つ人は約21%にのぼった。近年の調査でも、40歳以上のおよそ2割から4分の1が「人生の集大成として資産の一部を遺贈してもよい」と考えるという結果がある。年間相続50兆円の2割という規模感を思えば、これは潜在的にきわめて大きな数字だ。日本ファンドレイジング協会や全国レガシーギフト協会は、遺贈・富裕層寄付の推進を掲げ、相談・紹介・受入れの全国的なプラットフォームづくりを進めている。市場は、いままさに立ち上がりつつある。
だが、意思があることと、それが実現することのあいだには、大きな隔たりがある。遺贈寄付には原則として遺言書が必要だが、遺言書を「すでに作成している」人は全体のわずか3%程度にとどまるとされる。約2割が寄付を望みながら、その意思を法的に残している人はごく一部——この落差が、遺贈市場の最大の課題である。
隔たりを生むのは、情報と手続きの壁だ。どの団体に、どのような形で遺せるのか。遺留分や相続人との関係はどうなるのか。不動産など換金しにくい資産をどう扱うのか。専門的な知識を要する論点が多く、一人で踏み出すには重い。だからこそ、遺言書作成の支援、信頼できる寄付先の紹介、遺言執行の実務までを一貫して支える伴走が求められる。意思を持つ人が、その意思を安心して形にできる道筋を整えること——それが、この市場を育てる要である。
おひとりさまと、相続人なき遺産
高齢化は、家族のかたちそのものも変えている。内閣府の高齢社会白書によれば、65歳以上の一人暮らしは増え続け、2050年には男性の約4人に1人、女性の約3人に1人が単身になると推計される。「おひとりさま」の増加は、相続の風景を変える。法定相続人が誰もいない、あるいは所在がわからないまま人が世を去るケースが増えているのだ。
その帰結が、遺産の国庫帰属である。相続人が不在で最終的に国庫に納められた財産は、2023年度に初めて1000億円を超え、報道では1015億円、翌年度はさらに増えたと伝えられる。10年前のおよそ3倍にあたり、近年は毎年3割前後のペースで膨らんでいる。相続財産清算人の選任申立ても増加を続ける。ここには、静かな問いがある。行き先を定めなかった資産は、意思とは無関係に国庫へ流れていく。もしその一部でも、生前の本人が望む社会的な目的へと向けられていたなら——遺贈という選択は、この「意思なき移転」を「意思ある還元」へと変える可能性を秘めている。
認知症と資産凍結という壁
もう一つ、シニアマネーの行方を左右する大きな論点が、認知症による資産凍結である。第一生命経済研究所の試算では、認知症の人が保有する金融資産は2030年度に215兆円へ達し、家計金融資産の1割を突破する見通しとされる。より新しい推計では、その規模はさらに大きく見込まれている。
判断能力が低下すると、本人保護の観点から金融機関の口座取引が事実上凍結され、預金の引き出しや資産の処分ができなくなることがある。介護費用の工面に家族が困るだけでなく、生前贈与も遺言の作成・変更も、そして寄付の意思決定も、その時点で凍結される。つまり、意思を形にする「窓」は、認知機能が保たれているあいだにしか開いていない。だからこそ、任意後見や家族信託、遺言といった備えは、元気なうちに——判断能力が十分あるうちに整えておく必要がある。社会還元を望むシニアにとって、時間は静かに、しかし確実に限られている。
意思ある資産を、社会へ
ここまでの数字を並べれば、輪郭が見えてくる。2000兆円の過半を握る高齢層、年間50兆円の相続、2割の遺贈意思、3%の遺言実行率、215兆円の凍結予備軍、1000億円を超える国庫帰属。これらはばらばらの統計ではなく、一つの大きな問いへと収束する——高齢社会に滞留した富を、いかにして本人の意思にそって社会へ還すか。
とりわけ富裕層シニアにとって、資産の社会還元は「使い切れない富」の処理ではなく、自らの人生と価値観を未来へ接続する行為でありうる。遺贈、生前の大口寄付、公益財団の設立、遺言代用信託——手段は多様だが、いずれも共通するのは、意思を早く、明確に、法的に残すことの重みである。相続で動く50兆円は、放っておけば高齢層のあいだを横滑りし、あるいは行き先を失って国庫へ吸われていく。その流れに、生前の意思という舵を差し込めるかどうか。シニアマネーの行方は、経済の問題であると同時に、一人ひとりが人生の終わりにどんな意味を託すかという、静かで個人的な問いでもある。
出典・参照
- 内閣府「令和6年版・令和7年版 高齢社会白書」(高齢化率2023年10月時点29.1%、2024年10月時点29.3%、2050年に38.7%=2.6人に1人、65歳以上一人暮らしの将来推計)
- 日本銀行「資金循環統計」・総務省「全国家計構造調査」等(家計金融資産2021年末に2000兆円超、世帯主60歳以上世帯の金融資産保有比率6割超、1989年の約3割から上昇)
- 野村資本市場研究所(相続による資産移転額 年間約46〜52兆円、2035年約50兆円・2040年約51兆円の見通し、預貯金・不動産・有価証券の内訳)
- 日本ファンドレイジング協会「寄付白書2021(Giving Japan 2021)」(2020年個人寄付総額1兆2126億円、寄付者率44.1%・推計約4352万人、60代の平均寄付額約1万7957円、年代別の寄付者率・寄付額の傾向)
- 日本ファンドレイジング協会「寄付白書2015」ほか(40歳以上の遺産寄付意思 約21%、近年調査で約2〜4分の1、遺言書「作成済み」約3%)/日本ファンドレイジング協会「遺贈・富裕層寄付の推進」、全国レガシーギフト協会「いぞう寄付の窓口」
- 第一生命経済研究所(認知症の人が保有する金融資産 2030年度に約215兆円=家計金融資産の約1割との試算、以降のより大きな推計)
- 日本経済新聞・法務省統計(相続人不存在で国庫帰属した遺産 2023年度に初の1000億円超〈約1015億円〉、10年前の約3倍、相続財産清算人選任申立ての増加)
本稿は公開情報にもとづく一般的な解説であり、特定の寄付先・金融商品・スキームを推奨・保証するものではありません。統計値は調査時点・確定値/速報値の別・試算の前提により差異があり、将来推計は不確実性をともないます。相続・遺贈・信託・後見等の実務にあたっては、各府省・調査主体の最新の一次情報を確認のうえ、税理士・弁護士・司法書士等の専門家にご相談ください。